Sparkling* 光ってるのどうする?

こんにちは、ウトです。こちらは 以前のBittersweet in NZ の続きです。主に、NZ暮らしでの体験や思いを言葉にして発したくなると綴る私感ブログです。

We still miss you.

 
犬くんがいない生活になって、半年が過ぎました。
 
彼は、大切な家族の一員でした。
いなくなったことで、犬くんのお世話が一気になくなって。
それまでの自分の生活が、いかにキビキビしていて、
いっぱいいっぱいであったのかを思い知りました。
 

犬くんとの散歩は毎日の生活に欠かせなくて、
私は彼の行きたい道を一緒に歩くから2時間くらいかかる。
 

好きな道を歩けるから、
私と出かける前は、毎回やっほーい!と跳ねるように喜んでた。
 

死ぬ3日前も、私たちは3時間歩いた。
鼻先で「あっちあっち」って言ってて、もっと歩きたがってたんだけど。
もうおうち帰ろうね、と話して帰った。
 
それが、最後の散歩になって。
 
最後になるなんて思ってなかった。もっと歩けばよかった、と今でも思う。
 
歩いてても車運転してても、
犬くんのいない道は、なんて味気ないんだろう。楽しくない。
それどころか、しんどい。どの道を見ても。
 
いなくなったことで、生活ペースをゆるやかにしてもよくなった。 
休日の朝に早起きしなくてもいい。もう起こしに来ないんだから。
それが一体うれしいことなのかどうかは、わからない。
 
時間のゆるやかさを感じることに、罪悪感を覚えないように。
少しずつ練習している。
 
***
 

気持ちの浮き沈みなんてお構いなしに、ネットが見せてくる犬やペットロスの話。
 
いろいろ読んでみるうちに、なんとか半年はがんばって乗り越えることにした。
 
そういえば、日本のペットショップ。いいかげん生体販売やめてください。
ペットショップは、たくさんあるお世話グッズ売ればいいでしょう?
最悪な飼育環境でマシーンのように生産させる方も、それを買う方もどうかしてる。
日本の大勢の愛犬家さん達。
ペットをひどい扱いする業者や飼い主への厳罰化をもっと加速できませんか?
力を合わせて、なんとか頑張ってほしいです。
 
***
 
死んでしまってからは、あれだけ好きだった植物の世話も一気にやる気が失せた。
 
でも、いくらしゃべらないとはいえ、放っておけば枯れてしまうから
お世話しているうちに、つるを伸ばしたり小さなかわいい葉を出してくれて。
ただただ静かだけど、愛でる心を少しずつ取り戻してくれる。
 

この半年の間に、
スーパーのペット用品売り場を泣かずに素通りできるようになった。
 
散歩の時にいつも聴いてた音楽を、悲しみに呑み込まれないで、
また前のように、お気に入りの音楽に純粋に溶け込むことができるようになった。
全部じゃないけど。
 
リビングにある、犬くんのいたデイベッドには今もお骨とカミカミボールがあって。
 
毛布には、香ばしい匂いがまだ残っててほっとする。

毛がものすごくて、家中が毛だらけだったね。それが好きだったんだけど。
私の周りには優しい人が多くて、悲しみを理解してそっとしておいてくれる。
 
友人が少しだけ「いつかまた犬を飼う、っていうのもあるよね」と、
私から数メートル離して、そっと置いとくようにつぶやく。
 
もし聞かれたら取り乱しそうで怖かったその言葉も、
「いい出会いがあったらね」と泣かずに答えられた。
 

こんなに小さかったんだね。
うちにお迎えした子犬の頃から、いつかは命を全うして見送る時が来るのだと
覚悟するたびに号泣しそうになっていたけれど、
本当にその時は来てしまった。
 
嫌だ嫌だと思ってても来ちゃうのだ。その時が。
 
だから「いつかまた犬を」と考えると、
またあれほどの喪失感に耐えられるかどうかわからない。
 
 
今も、家族みんながそれぞれにさみしい。
それぞれが、ポッカリ開いた心の穴に自分なりに折り合いをつけている。
 
息子は、ちっちゃい頃、大きな犬に追いかけられてからずっと犬が怖かったけど、
犬家族になってから、恐怖心から解放されて、
犬くんとは特別仲が良かった。
 
だから、新しい子をもし迎えたら、
死んだ犬くんを置き換えるみたいで、裏切るみたいだって言う。
 
 
ついつい犬くんに、もういないのに話しかけたり歌ったりしてしまうのは、
夫と私が特にひどい。
 
この前も、夫は帰宅してから大きな声で
「お父さん帰ってきたよ〜犬くん〜」みたいな、
フレーズの歌を終わりまで歌い切ると、しまったもういないのに!って
ハッとしてた。
現実に戻って、急にさみしくなって。
 
それを私は、外で洗濯物取り込みながら背中で聞いていた。
 

いつも犬くんが守ってた前庭には、主がいないから、キノコが生えてきた。

 

これ、さわっても大丈夫?
他の家族が悲しむから、あまり犬くんのことをお互いが口にしないようにしていた。
(それでも大人である親のほうが口がゆるいのだけど)
 
でもそうやって溜め込んでいると、よけいに苦しい。
 
だから家族会議で
「がまんしないで素直に犬くんのことを口にしようよ。それで、悲しくなるのは愛情が深い証拠だよ。」ということになりました。
 
「犬くんかわいい」をがまんすると、心にも体にも良くないに決まっている。
たとえ、もういなくても。
 
さみしさが残っていようと癒えようと、
犬くんも私たち人間も、家族みんなで愛情いっぱいで
幸せだったことには変わりないのだし。
 
ペットを亡くした人々の体験談によると、何年経っても新しい子を迎えても、
亡くなったペットのことは悲しいという声が多い。
だったら、さみしいも悲しいも避けようがない。
 
子供たちも親も犬と一緒に、楽しくにぎやかに成長できたんだから、それでいい。
 
 
私はよく、亡くなった父を始め、うちのご先祖様と夫のご先祖様たちに、
いつも家族を見守ってくださってありがとうございます、と
日々手を合わせて、感謝をしています。
いい出来事や、がんばっていることも報告したりして。
宗教とかではなくて、ただ話しかけてありがとうって言いたくて。
 
でもその中に、犬くんを加えることがなかなかできませんでした。
 
死んだのはもちろんわかっているけど、心が納得しなくて。
頭と心が一致するのに、時間がかかりました。
 
だから、父ちゃんにお願いをしていました。
「犬くんがそっちに行くから、迷わないように連れて行ってあげてね。
そして犬くんが行き来したい時に、できるようにしてあげてください。」って。
 
もー死んだというのに、まだ困ったお願いをする娘かもしれないんだけど笑。
 
だけどそうやってたら、やっと最近になって、私たちを護ってくれている魂として、
犬くんのことも他の魂たちと一緒に、感謝できるようになりました。
 

海によく行ったよね。
そんな風にして、まだ、たまに泣き崩れそうになっちゃうけど、
なんとか半年経ちました。
 
今回のこれも書けるかわからなかったけど、一区切りとしてなんとか書けた。
 
写真を見返すのも、しんどかった。動画見るのなんてまだまだ無理だ。
 
さて、あと半年、がんばろう。
 
***
 
あと一つだけ。
私がこの肉体を去って向こうの世界に行く時に、きっと犬くんは迎えに来てくれる。
 
ああ、そしてたぶん父ちゃんも迎えに来てくれるな。そういう人だったから。
 
犬くんと父ちゃんとは直接会ったことはないけど、
たぶん二人ですぐ気が合って、一緒に迎えに来てくれるだろうな。
 

前を歩いていても、ちゃんとついて来てるかチェックしてくれる。

 

山道の中を、私がちゃんと後ろからついて来れてるか、
振り返りながら待って確認しつつ、前を進んでいた犬くん。
 
忠誠心が高くて、どこまでも純粋で。
本当に家族のこと、大好きでいてくれてたよね。
 
いつか私にその時が来ても、
きっと彼が迎えに来て、行くべきところへ連れて行ってくれるでしょう。
 
それが楽しみになりました。
 
 

犬くんとの散歩でよく聴いていたこの曲では、まだ感情が揺れてしまいます。
無理しない、無理しない。
 
Denmark / Van Gogh & Gone
- Psychedelic Porn Crumpets