こんばんは、ウトです。
今年の2022年は、本当にあっという間でした。
周りでもそういう声をよく聞くから、自分だけじゃなくてほっとする。
なかなか険しい登り坂の一歩手前見つめてえっちらおっちら歩いていたら、
急にパッと視界が開けて、解放されたような。
頂上なのかどうかはまだわからないんだけど、それでもなんだか気分がいい。
だからこの一年はいろいろ乗り切ったか、学んだか、力をつけたんだろうと思う。
何だったかな?
今日は大掃除でくたくただから、振り返るのは後でゆっくりやろう。
家族でゆっくり振り返って、みんなの素晴らしかったことをねぎらってお祝いします。
ニュージーランドは、もう夏休みに入っていて、
学生は学年末、来年の進路手続きも抜かりなく。
そこにクリスマスと年末年始が重なります。
そして今年の年末はいつものよりも、ひしひしと節目感を強く感じています。
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年が明けて夏が本格的になってきたら、
30年来のイギリス人友人が、海を越えて遊びに来てくれます。
彼が前回遊びにきたのは、3年前。
滞在中に、新型ウイルスが発生したらしいっていうニュースでざわつき始めた。
当時はよくわからないから、私も彼に(途中空港で足止めされるよりは)
まだしばらくうちにいてもいいよ、なんてのん気に言っていたけど。
いややっぱ帰るわ〜って帰国していったのは正解で、
その直後から国境規制が厳しくなっていった。
あれから、よくここまで乗り越えてとにかくみんなえらい。
こうして再会できることを祝って、一緒に旅してきます。
NZの自然を、いっぱい体感して楽しんでくるつもりです。
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<少しずつ起きてる変化の波>
ここ数年は、特にパンデミックで時間の感覚がちょっとおかしい。
NZ暮らしだと、海外ミュージシャンとかがオーストラリアまでは来るけど、
NZには寄ってくれない....なんてこともよくあるから、
来てくれるだけでありがたいのですが(感謝が自然に増える海外生活)。
年明けにはRed Hot Chili Peppers が来ます。
大きなライブイベントがあると、息子たちとその友人たちがよくうちに集まるから、
同窓会みたいで楽しい。
一人ひとりがでっかいので、今から普段の人数以上に集まれるように準備中です。
前回は、3年前のTool のコンサートだったから、3年も静かだったんだな。
前回同様、今回もTicketmasterでのチケット争奪戦は、
ものすごくストレスフルだったそう(どうにかならんのか)。
それでもいいポジションをゲットできたみたいで、みんなすごく嬉しそうなのが私も嬉しい。
ライブに行けるのって、体力だけじゃなく気力もいるから、
それぞれしんどいこともあったけど、大きくなった子供たちがこの3年を乗り越えられて、
成長して集まれるっていうことだけでも、本当にありがたいことだと思う。
人が成長するのっていつも順調とは限らない。
フラストレーションとか葛藤とか、中には絶望的なくらいの泥沼の中で、もがいてもがいて。
なかなか出られなかったりする。十代二十代とか、それ以降でも。
特に男子は、順調に成人していける人のほうが、とても少ない気がするのだけど。
どうでしょうか?
ほったらかしてて簡単に勝手に大きくなったんじゃないよね。
だから、ここまで育ってくれて素晴らしい。 ありがとう。
*
これの持ち主は、私なので
あんまりママがいつも聴いてる音楽とはちょっと違うね、と息子たちは言います。
そりゃあね、めちゃめちゃかっこ良かったのよ。
Red Hot Chili Peppers を初めて知ったのは、
彼らが "Mother's Milk" 出してきた30年くらい前のこと。
本当にすっごいかっこよかった。
今はもうそんなことないと思うけど、当時は「洋楽好き」は圧倒的に男子が多くて、
自然に半々くらいで男子の友達が多かったのだけど、
ファンク好きの友達が「〇〇ちゃんこれいーよー」って Mother's Milk を教えてくれた。
(それにしても、これいーよーっていう音楽が本当にかっこいいと、
めちゃめちゃ感動&興奮する)
もし、これを読んでる人の中で、当時を知らないファンがいたら、
あなたの好きなバンドは、出てきた時からめちゃめちゃかっこ良かったんだよ、
本当によかったねって、お知らせしたいです。
Mother's Milk - Red Hot Chili Peppers
*
それで家族を送り出した後の、ある朝。
あの子たちが集まれるように、もう少し居心地いいスペース作りたいな〜と
プランを練りながらコーヒーを淹れてる間に、手では空き缶でプランツポットを作りながら
息子が持ってたけど一度も聴いたことなかった、彼らの音楽を数十年ぶりに聴いてみました。
やっぱりかっこいいなーと感心しつつ、
初めて聴くそのアルバムの歌詞に考えさせられていた。
このバンドの人たちも数々の苦しみごとがあって。
ボーカルのAnthonyは、子供の頃からドラッグが身近な環境で成長して、
中毒やいろんなことですごく苦労していたけど、克服して、音楽はもちろんそれ以外でも、
多くの人々をインスパイアできるほどの大きな大きなエネルギーを持っています。
ギターのJohnも、ドラッグ中毒で苦しんだけど、克服して活躍していて、
世界中のギター弾きが憧れています。
↑ 最近の彼のポットキャストはとてもいいらしい。↑
そして彼らの音楽を聴きながら、知人のことも思い出していた。
怖れと淋しさとヘロインに囚われて、スッとあの世へ行ってしまった彼のことを。
もう今は、苦しみから解放されていることを願いながら。
30年の年月を経て、子供たちと
「いいもの、いいこと」を心から共有できることは、幸せ。
それぞれがいろいろあって、
それでも、こうやって成長してまた集まることができる、ということに感謝したい。
息子の友人たちが来たら、
たぶんもふもふのヒゲを顔中毛皮かみたいに生やしてるだろうから、
また触らせてもらうんだー。
One Hot Minute - Red Hot Chili Peppers
↑ 久々に聴く彼らがかっこよかったので、そのまま聴きながらお仕事に入っていきました。
***
他にも、節目的なことが。
<呼ばれているから、そこにいる。>
今年の終わり頃には、ある場所にいました。
また私はこうして、こういうところにいるんだよなー。自分のことじゃないのになー。
自分のことじゃないのに、またこうして呼ばれてしまうことの不思議さに身を委ねながら、
目の前にある、その人の背中をじっと見つめていました。
裁かれる人の背中を。
「呼ばれているから、そこにいる。」
この感覚は、前にもあったな。
そうそう、蘇ってきた。
ちょうど10年前。
同じような時期に、後に自分のことを不当解雇する雇用主に初めて会った時のこと。
あれも、元々は自分のための出会いじゃなかった。
会ってみて、拭いようのない違和感を彼からは感じたのに、それでも。
当時はその理由がわからなくて。
そのうちだんだん意味がわかるようになっていって、
無視しないで本当によかったとはっきりしていったのだけど、
思い出した10年前の不思議な押される感覚と、
今年末の押されてる感覚は、とても似ていた。
元雇用主が不当解雇したのが、私だったから、
被害に遭った当事者じゃないのに、こうしてここに呼ばれた。
元雇用主が不当解雇したのが、別の人だったら、絶対に私はここにはいないのだから。
別の人だったら、その人は絶対に、ここには呼ばれていない。
元雇用主が不当解雇したのが偶然にも、私だったのには意味があって、
隠されてきたことに光が当たっていってしまう、ってことだった。
だからこそこの日、10年前の不思議な強い感覚と、
この目の前の人の背中が、太いパイプかコードでがっちりと繋がったのを確信した。
がっちりと。
ずっと気づいていたことが「その通り」だったことを、実感した。
10年って長い?
でもね。
ニュージーランドには、未だ手付かずの問題が数多くあるし、
解決に至らず10年20年闘ってる人たちが大勢います。
30年、それ以上ということもある。
そういうNZ人たちの中に飛び込んで、吸収して、学び、闘う術を見出す。
闘うためにそういうことやってきた人って、どれだけいますか?
人のせいにしているだけだと、何も変わらない。
自分で闘わない人の言葉を、他人が真剣に受け止める必要が、どこにあるのでしょうか。
闘えない、んじゃない。闘わないのだから。
どこに、誰に、どうやって、複雑なことを説明すればいいのかもわからないで、
「誰かが自分の代わりに説明してくれる」ことを期待しているだけじゃ、
何もやってないのと一緒。
たとえやったとして。
見当違いに無駄打ちして、健闘したつもりになっても、
いとも簡単に、他のNZ国内の山積み課題に埋もれてしまう。
それが現実。
解決に時間かかる、って不満がある人々がいるでしょう。
手を出してしまったのだから、自覚して、覚悟しないと。
できないのなら、埋もれていくだけです。
*
私は、自分のことじゃないのに、呼ばれているわけなので、
視線の置き場所は結局、目の前の人の背中くらいしかなかったから、
見つめながら感じていた。
でももう今では、そういう人たちたくさんの不都合なこと、後ろめたいことを、
目の前のこの人にだけ背負わせようとしている、可能な限り多く。
ただ一人で座る目の前の背中に、たくさんの思惑がのしかかっていた。
温かみのあるとは全然言えない、重いエネルギーがたくさん向けられていた。
(あくまでも私感)
でもそれって、違うんじゃない?
絶対に違う。
「わかりやすく表面化できたことにたかって、『然るべき』対処法を取る」
そういうお決まりのことやってるだけじゃ、
また「都合悪いけど本質」の隠蔽 - cover up を繰り返すだけ。
そういうのは、もう意味がない。空洞だよ。
「自分以外の誰かに丸投げ体質」
「本当はなにもしてないけど、
体裁を繕ってやってるふりする体質」
そこまで掘り下げて、表面に出さないと。
体質だから、根本から変えていく必要がある。
深く繋がって関係を続けていた、会社ロゴを掲げた車でNZの街を走る日本語情報メディアも、我関せずの姿勢がいつまで続けられるのでしょう。
社会的にまずい組織の内情を知ってる人たちというのも、
当事者自身で通報して自分で説明しないと。
他人任せにしても、内部告発の突破力は発生しない。
又聞き情報で、信憑性の高さを証明してほしい?
それじゃいくら有力な内部情報を得られた経験があっても、何も動かせないし、
傍観者の一人と何ら変わりがない。
これまでも、何度も強く問いかけてきた。
本気かどうか? 本当に覚悟があるのかどうか?
長年隠蔽されてきたことを明るみにするっていうことは、そういう真剣な意志がないと。
やるの? やらないの? って話。
*
こうして、ここで言葉にしていることの向こう側で「起こっている現実」が
察知できる人と、できない人がいるみたい。 それはそれで。
なぜ他人の問題なのに、私が呼ばれるのかというと、
たぶん「あなた、種まきできるでしょ?」ということなんだろうと思う。
呼ばれるし、後ろからぐいぐい押されて。素直にそうしてきたのは、そのほうが自然だから。
もういい加減、変わってもいいよね?
こういうの終わりにして、
変わった方が良くない?
そうやって、種まいてみる。
すぐに芽が出ても、ゆっくりでも、ちっとも芽が出なくても一向に構わない。
自分なりに何をするか?ということに、意味があることを確信しているから。
***
たぶん多くの人が感じているように、
私もこれからが大きく変化していくのを強く感じています。
今年一年で、だいぶ視力が悪くなっちゃったけど、
献血が習慣化できたのがうれしい。
この前は、献血終了時にほぼ寝でウトウトしてたから、
ナースさんが私の名前にメロディをつけて、歌いながら起こしてくれました。笑
そういえば今年、
韓国のカルトがNZ支部を設立したから懸念されているっていうニュースがあったなあ。
そのカルトは献血に積極的らしいんだけど、そことはまったく無関係です。笑
圧倒されるくらい数多の出来事や情報があって、
暗くなったり混乱されそうになることもあるけれど、
そういうのをひっくるめても、これからくる大きな変化を感じるから、
楽しみでしょうがない。
先行きどうなのかはっきりしてないのに、なんだか子供みたいにワクワクしてる。
年を重ねるっていいことで、こういう理由づけできない強い感覚が、
いつか具現化していくんだろうな っていうのが人生経験として積み上がってる。
おかげで、不安より楽しみの方が大きい。
それは子供たちに「あなたは、大丈夫よ。」と伝える時、芯に込める種になる。
若い人たちが時に放つ、突き通してくる鋭さというのは、特に清々しい。
だから、こちらもちゃんと中に込める種を持つ人でありたい。
その種が芽吹くのを願って。
たまにしか書いてないブログですが、
いつもたくさんの方がアクセスしてくださっていて、本当にありがとうございます。
どうか、みなさん体も心も大切に。
みなさんの身近には、美しい花や緑や自然がありますか? 素敵ですよね。
新しい年は、健やかに。いい日々を積み重ねていきましょう。
Dreams of a Samurai - Red Hot Chili Peppers