今日は、瞑想するといい日なんだって。
音楽に酔ってるのは、瞑想のうちに入る?
NZで暮らしていると、時々、知らない他の日本人のことを人づてに聞くことがあります。
(それが苦言だと、えー私知らんよなー。。。って思うけど)
先日、仕事関連の会議がありました。
終わってから、数名と初対面だったこともあって何気に残って雑談をしていました。
そこにはNZ人とUK人EU人、アジア人は私だけ。
(あーキミ日本人なんだねえ、、、ってよくある流れ)
そしたらNZ人のAさんが、最近健康のために西洋医学ベースだけじゃなく
東洋医学も自分に合うものを取り入れたくなってきてるそうで。
鍼灸とか指圧とかができる人を探しているものの、なかなかうまくいかないとのこと。
で、この前ある日本人の施術師を見つけたらしい。
日本人だからいい腕してるかも!と期待して。
でも知っていくうちに、どうやらその施術師は西洋医学を相当嫌っているらしく、国のコロナ対策にも反対していることがわかった。
もちろんいろんな考えの人がいるのでいいと思うんだけど、
(この多文化の国に、未だそういう人が移住してるんだな〜って思いながら聞いてた)
西洋医学と東洋医学の
「それぞれいいところを柔軟に取り入れたいAさん」にとって、
極端にどちらか一方だけが良い、という考えに対する違和感が
どうしても気になってしょうがない。
そのうちその日本人の偏った考えを押し付けられて、生活全体まで変えるよう圧力かけてくるんじゃないか?(昔懐かしアムウェイみたいな)
と嫌な予感がしてきて、その人を選ぶのはやめた。
国のコロナ対策に反対する人たちのこれまでの過激な行動も、(一部の人であったとしても)警戒心に拍車をかけたんだそう。
*****
元々、この日の会議参加者たちは立場や責任がある人が多く、
日ごろからコロナ対策を守ることに積極的なほう。
というかそれだけじゃなく、
自分や身近な人の重症化リスクが高いから真剣だ。
万が一は困る、もっと厳しくという人も少なくないです。
生きたいし、誰かを死なせたくない。
私自身も周囲に、年齢関係なく重症化リスク高い人たちがいるから、対策を取ることは自然なことだった。
そしたら、話を聞いていたEU人と日本暮らしの経験があるUK人が、
「日本は表向き穏やかなようで、裏では本家本元・大御所意識を今でも持っているんじゃないだろうか。いろんなことに。」
「以前のような日本ブランドの威力は薄れてきている中で、日本の良さを伝えようと虚勢を張っている(せざるを得ない)のを見るのは、悲しいことだ。」というようなことを言っていました(マイルド訳)。
まったく無くなったわけじゃないけど、昔より「日本=クオリティの高さ」という印象はもうそれほど持たれていないなと感じてはいるけど、
こうして日本人以外の人から言われると、そうかー、、、って思う。
初対面でも結構はっきり言うし、この日も本当はもっとグサッときつく厳しい言い回しだったけど、共感することも多々あった。
自分のことを振り返っても、まだ一般的じゃなかった頃に、
日本で自宅出産したり10年近く母乳授乳を続けていたり、逆子をお灸で治したりお味噌も自家製してたから、東洋用医学のすばらしさは痛感しているのだけど。
あんなに長いこと、
とてもプライベートな乳房と乳腺手当てを受け続けられていたのは、
子供がおいしくない母乳は飲んでくれなかったこともあったけど、
手当てしてくれてた先生方が、とにかく明るくて
柔軟に「日本流だけが正解」が通用しないわが家のことを
理解してくれていたのが大きかった。
いいと言われることを全部やることはできなかったから。
だから私は彼女たちを心から尊敬して、安心して手当てを受けることができていました。
東洋西洋混合家庭で30年暮らしていて、
たくさんの在日外国人の友人がいるけれど、
日本の良さや素晴らしさだけを尊重することは通用しない。
どんなに「いいこと」でも、それぞれを尊重しあって、
それぞれに合っていたり受け入れられないと続けられないものだな、って難しさを感じてる。
例えば日本の食文化をとっても、私は具だくさんのお味噌汁と納豆と玄米を食べ続けるのはうれしいけど、イギリス人の夫にはNOだ。
どれだけ身体にいいことを知ってても、納豆は日本のスーパーの納豆細巻きしか食べなかった。
在日歴長い外国人の友人たちだって、日本食の良さを知っていても別に毎日続けてるわけじゃないし、腹の底では日本食が健康にいいなんて、ちっとも思ってなかったりする。
子供たちが小さかった頃は、食事のメインを好き嫌いの多いベジタリアン夫に合わせつつ、別に肉魚類を作っていた。
NZに移住してからは、子供のスポーツコーチに「成長期なんだからもっと肉を食べさせなさい、スタミナ不足は炭水化物で満腹にさせる日本食のせいだから変えなさい」って何年もダメ出しされていた。体の不調は全部日本食のせいだという勢いだった。
山あり谷ありのかなり険しい成長期と、長い爆食い期がやっと落ち着いてきて、大きくなってきた子供たち。
今では、量から質へ意識が変化し、メンタルヘルスと食事バランスの関係を重要視するようになった。それには動物性タンパク質がかなり大切らしい。
家族一つの中でも、
互いに尊重し合いながら、それぞれがこだわりを持つ。
自分たちにとって、
異文化家族でいることが一番気楽で自然だと思っている私でも、
異文化と考えの違いをそれぞれを尊重して毎日継続することは、
食生活だけをとっても Challenging / Tricky だったりする。
難しいとも言えるけど、一筋縄ではいかないからやりがいがある、
興味深いし楽しいとも言える。
知り合いの知り合いで、NZ人夫と中国人妻のご夫婦は、
奥さんが家で中国料理作るのを夫に禁止されてる。
それは息苦しくて窮屈で、かなり辛いんじゃないかと思う。
***
だからこの日の雑談に戻ると、
NZ人のAさんが、もし一人暮らしなら、
自分の身体にいいことだけを純粋に続けることができるかもしれないけど、
家族がいると、東洋医学に基づいて異文化の日本食とかを
家庭生活に取り入れるのには、家族の理解がいると思う。
もし理解はしてくれても、
家族の生活を一変するほどに取り入れてくれるかはまた別問題だ。
無理したって、しんどくなって続かないかもしれないから。
幼い子供のハンバーグ作ってて、ミンチ肉に極細みじん切り野菜を
しら〜っと揉み込んでおくみたいに、「いいこと」を、
柔軟に無理なく生活の中に混ぜ込むように取り入れていきたいのはよくわかる。
自分と家族が幸せに暮らしていくことが、自分にとって最重要なことで、
自分のコアだったとしたら、聖域と言ってもいいくらいだろうから、
そこはやはり壊したくないんじゃないか。
妊娠していた数十年前(!)、妊婦の私は、
日本人以外の子供を身籠るなんて、考え直しなさい(堕ろせと言うのか)、
あんたもう日本人じゃない、
非国民!などという余計なお世話を、見知らぬ日本人からよく言われていた。
それでもスーパー穏やかで心豊かに胎児を順調に育てていられたのは、
そういう言葉を吐く人のほうが不幸なのは明白だし、
何よりも自分の子供たちは、人種や文化の違いにある不要な壁を軽く乗り越えて、
幸せに生きていけると信じて、揺るがないでいたから。
そしてこうして現実化している。
*
母乳育児が長期間できたのだって、順調に母乳が出てたからじゃない。
世の中には母乳が順調に出ないお母さんが大勢いて、私もその一人だった。
あの頃は本当に本当に辛かった。
体は母乳を作るのに、うまく出ない、飲ませてあげられない。
すっきり飲ませられなくて、体が数時間で鉛抱えてるみたいに重くなって、
夜間授乳もあるからよく寝られない。
寝不足がひどくて母乳の出も悪くなる。それが1日も欠かさず毎日続く。不調も悩みも。
そんな中で、乳房手当て手技をしてくれる先生たちに出会って、
二人三脚で、第一子から末っ子の授乳が終わって残りの後しぼりが終わるまで、
10年近くお世話になった。
長期母乳授乳してると、宗教じみてる、カルトまがいだと医師や看護師からも非難されていた、20年ほど前の話。
私は、子供は日本と日本以外の国(当時の予定はイギリスで)で育てると
子供を持つ前から決めていて、夫も同意していたので、
3人の子供を授かったのだけど、もし日本にずっといたら子供は一人だけだったと思う。
母親がみんな、乳幼児を他人に預けて仕事に出たいわけじゃない。
母親がみんな、24/7 幸せに乳幼児と過ごしお世話できるわけじゃない。
母親がみんな子育てに向いてるわけじゃないし、
女性だからって、みんなが出産しないといけないわけじゃない。
母親が、穏やかに幸せに妊娠し出産し育ていくことができる、自分に合った環境を選択できていないことが、伝わってくる最近の日本の出生率からもわかる。
出生率低下のデータと政府対応の報道の向こう側から、日本の女性とその家族の叫びが聞こえるようだった。産みたくても産めない。産まない。
人を産み育てる人も経済活動する人も、同じように重要だという社会的認識がなければ。
いろんなしがらみを削ぎ落として、
どうやって産み育てていきたいのかに直面させられた時に、
その思いの根源が無視されて尊重されなかったら、
出産は女性がするということも続かないんじゃないか。
***
手技技術の高さだけで、療法士を選べる人もいるけれど、
違和感をぬぐえないくらいに、Aさんの感覚がすでに開いてるのなら、
その感覚に従うのが一番いい。〇〇人かどうかも関係ないし。
本当に本当に自分の大事なことを無視してると、いつか無理がきて続かなくなる。
大事なものは守ったままで、自分に合う柔軟な人を焦らず見つけたらいいよね。
いいエネルギーで相性が良ければ、無理強いされなくても伝わってくるでしょう。
ましてや直に身体に手当てしてもらうんだから、
感覚無視しちゃうとかえって調子悪くなりそうじゃん。
見つかるまで、自分で痛気持ちいいとこ探しながら揉んでたらそのうち出会えるよ。
スムーズにいくかもしれないし、いかなくても気軽になんとかなるからいろいろやってみて。
。。。っていうことを、会場締め出されるまで話していました。
「合わなかったらNO」って数秒で答えが出ることを、思いがけず長々と深い話ができた、
ある日の出来事。
*****
別の日には、多忙でなかなか会えない友人に久しぶりに会えた。
その友人は、2020年から世界中でコロナ感染が流行して厳しい状況になっていった時期に、NZ国民の感染者数増を抑えるための対策の、責任ある任務を任されていました。
元々仕事し過ぎ頑張り過ぎな人で心配してたのに、さらに重圧のある役目を背負ったことで、私だけじゃなく他の友人たちも心配していました。
それでも当人は「感染者も死者も増やさない」という使命を強く持っていた。
今はもうあの重圧は終わってて、
会ってみて気が柔らかくなってたのを感じてほっとした。
国のコロナ対策が発表された当初、
行動規制に反対した子供の友人のご両親は早々に家族でブラジルに移住していった。
いろんな選択がある。無事だといいのだけど、あれからどうなったのだろう。
でも、国が厳しい対策を取らずに、
国民の感染蔓延も感染者も死者も抑えられる別の方法があったのだろうか。
自分も生きる、他の人も生きていてと願って、
一生続けるわけじゃない「一時的な不自由」。
自分も生きたいし、他の誰かも生きていてと願って、
私が月一回プラズマ献血の習慣を続けられているのも、
多くの国民が一時的な不自由を引き受けてくれたからだと思う。
プラズマ輸血をしなければ生き続けられない誰かのために、
献血し続けられる健康体でいるということ。
「生きていて」は循環しているし、繋がっている。
人は独りで生きてない、ということをありがたく思う。
もしいつか別のウイルスとかが発生して大規模に流行してしまったら、
この三年で経験したことの改良版で乗り越えたらいいんじゃないか。
この三年でそれぞれがつけてこられた力は、すごいんじゃないかなって思うから。
***
NZではマスクをしてもしなくてもいい生活になって、だいぶ経ちます。
私も最近ではほとんど着けてないけど、大事なイベント前だったり、
着けてる人が多い場所ではそういう人を守るために自分も着ける。
臨機応変に、感染しないようにうつさないようにしながらの日常。そう、日常になった。
今年に入ってからは、すっかり豪雨被害に気を取られていたので、コロナがあることを思い起こさせる出来事が続きました。
***
それにしても、今季の夏は寒くて雨が多かった。豪雨で浸水したわが家の一階。
捨てられないで溜まってた夫の不要物や古いカーペットは強制的に断捨離することになった。
ずっと何年も捨てようよ〜って言ってて、まさかこういう形で現実化するとは。。。でも修繕必要な弱点も分かったから直せる。
これを機に、前より快適スペースにしようとアイデアがいろいろ集まってきて、みんなの頭の中が明るい。
床材も湿気対策には、カーペットよりコルク材のほうがいいらしいけどどうなんだろう。いろいろ調査中。
まだ、回復までの道のりはだいぶかかりそうです。
長くなりそうだから、時々息抜き。
アルコールはもうあんまりいらないけど、ホップの味が好きだから。
一番好きなノンアルコールIPAで。
***
寒さ続きで、うちの植物たちにも調子の良くない子がいるものの、
すくすく元気組もいてくれるので、ウキウキしてはげまされます。
どんどん伸びて増えてきて、日当たり争奪戦みたいになってきたので、
このブログを読んでるNZ在住の方で、
もしほしい人がいたら送れるなと思ったのでした。
次回、紹介します。
いろんなことが、もうそんな重苦しくなくていいんじゃないかなー
そんなのもう窮屈なんだよなー
軽いエネルギーの方がうまくいくんじゃないかなー って思うこのごろです。
温かく、時に熱く、ふわっと軽いやつで。
A Certain Someone - Red Hot Chili Peppers