Sparkling* 光ってるのどうする?

こんにちは、ウトです。こちらは 以前のBittersweet in NZ の続きです。主に、NZ暮らしでの体験や思いを言葉にして発したくなると綴る私感ブログです。

抹茶が堪能できる「辻利・オークランド店」に行ってきました!

抹茶大好きな私。
 
オークランドに「抹茶が味わえるお店」ができたというのを
小耳にはさんだので、夫と一緒に
「辻利茶舗 TSUJIRI」に行ってまいりました(^^)
 

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グローバルサイトには
まだ、ニュージーランドのオークランド店は載ってませんね….(汗)
 
でも大丈夫なのだ。がんばれニュージーランド!
 
 
「辻利」というお茶のお店は、萬延元年(1860年)創業の
京都の宇治茶の老舗だそうです。
 
 
そんな、すごいお店の抹茶がニュージーランドで味わえるなんて!うれしい!
 
***
 

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「辻利茶舗 TSUJIRI」
オークランドの10 Lorne Streetにあります。
 
週7日営業、朝11時から夜10時までやってるそうです。
Queen Street から
Victoria Street Eastを入って(Farmersとスターバックスの間の道)
1本目の道、Lorne Streetを右に曲がって歩いていくと
左側に、ICLビジネススクールがあるので
その隣に「辻利茶舗 TSUJIRI」の黒い看板が見えますよ。
 

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平日の夕方近くでしたが、外にも行列が。ワクワク。
 

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デザイン好きなので、お店の外観・内観もとても好みでした。
 

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壁には「抹茶のできるまで」が。
 

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列が進むにつれて、抹茶のロールケーキに目がクギ付け!
 
夫とロールケーキにしようか迷いながらも
メニューを眺めて、あれこれ考える私たち。

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アイスクリームやシェイクは「抹茶」じゃなく「ほうじ茶」も!
ほうじ茶のアイスってどんな味だろう???
 
それに、夫の大好きな「ゆず」が!
ゆず茶やシェイクになって。
迷ったから、行列の待ち時間があってちょうど良かったです。
 
結局、初めての辻利だったので
私の中で王道の「辻利かき氷 TSUJIRI Shaved Ice」$10.80に決定。
 

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写真撮ってて、アイスが溶けてきちゃったので、いただきます。
 

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抹茶アイスは、抹茶がちゃんと「ガツンと濃くて」
口の中に入ったとたん広がるインパクトがあるのに上品な味。
 
日本暮らしの長かった夫も、
「石臼で挽いたばかりの茶葉を食べてるみたいだね。」と。
そんな経験ないのに!(笑)
抹茶アイスを堪能していました。
 
でも、まるでそんな体験をしているかのような
イマジネーションを掻き立たせてくれる豊かな味でした。
 
あんこ大好きの夫が、あずきにも感動。
あんこは私も手作りしますが
(海外生活だと、和のおやつは手作りになっちゃいますよね)
今度のは、豆の形を崩さないで煮てみようかな?
抹茶かき氷とすごく合ってて、私も幸せ感いっぱいになりました。
 
久々に味わう栗も白玉だんごも、そのままで
「なんて美味しいんだろうねぇ。」しみじみ語り合う私たち夫婦。
 
味薄くなるかな?と思ってた、
抹茶のかき氷も、最後まで抹茶。
 
抹茶って、味も素晴らしいけど
「抹茶の緑」が素晴らしいのですよね。
思えば子供の頃から好きだったな。
 
そういえば、いつもの「ほぼ日手帳」も2019年のは、抹茶色。
自分の中では「原点回帰色」なのかも。
 
この前久しぶりに帰った日本で、
兄弟と抹茶スイーツを食べ歩いたのだけど、
楽しみにしてた抹茶アイスが、どれもおしとやかすぎて。
 
日本では物足りなかったのに、
NZで豊かな苦味に出会えるとは、思ってもみませんでした。
 
この日もおいしい物好きのアジア人を中心に、お店は賑わっていました。
 
 
前の女性が、本当に美味しそうに
「抹茶のロールケーキと抹茶(ダブル抹茶)」をていねいに味わってて。
また並んでおみやげに買っていったので、たまらず
わが家でもおうちでみんなで分けっこ用に、ロールケーキを買いました。
 
夫も、今度生徒さん達を連れて行くのだそうです。
 
ほうじ茶アイスやゆず茶も気になるので、
一緒にまた行くつもりです。
 
値段が高くて入れない所ばっかりじゃなくて
こういう「ステキな質の高いお店」が、
これからも増えてくれると
ニュージーランド住民としてもうれしいですよね。
 
 
「ステキな質の高いお店」のみなさま
ニュージーランドへの出店、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
辻利さん、幸せ気分になりました。
どうもありがとうございます。
 
 
おいしかったので、ぜひ。おすすめですよ。
 

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「辻利茶舗 TSUJIRI」
 
10 Lorne Street, Auckland
朝11時〜夜10時 
週7日営業
 
 

ターニングポイント。

 
いつも鍛えてて、元気だった。
 
と思っていたガンコな父が、突然逝ってしまったために
11年近くぶりに帰った日本。
 
父は、同い年のスーパーボランティア、尾畠さんのように
まだまだ活躍できるような人、のはずだった。
 
終活をしていなかった父の膨大な後片付けがあるし、突然残された母のことが心配で
ママは家族をNZに置いて、ひと月半日本にいることにした。
 

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父が孫達をよく連れていったお寺。
 
その間に
初めての孫である私達の長男が生まれてから
何度も孫達を連れて、にぎやかにお参りに行ったお寺を
今回初めて、一人で散策。
 
静かだった。
 
父の体はもうないのに
ここに、父の姿をもう見ることがないという事実が
何だか受け入れられなかった。
 
何回もみんなで来た時と、一人歩く今が重なって
あれ、夢かな?と思ったりして。
 
違うんだけど。
 
 
「ごめんね。あんまり突然で。あんたが帰ってくるまで父ちゃん、
長生きさせられなかった。」
 
子育てや生活に追われて、一度も帰国する余裕がなかった私に
電話口でも実家に帰ってからも、そう謝り続ける母。
 
「お母ちゃんのせいじゃないよ。」と説得してわかってもらうのが
お姉ちゃんの最初の役目となった。
 
 
<自宅で亡くなる、ということ。>
 
「あの日に限って、なんで寝過ごしたんだろう。」
 
いつも超早起きの母が
その日の朝は
たまたま、遅く起きた。
 
父の骨の手術の準備のための病院通いで
母はくたびれていた。
 
前の晩には、いつものように薄いお湯割りで晩酌をし
いつものようにお風呂に入る、父。
 
昔は、お風呂が先で晩酌は後だったのに
いつの間にか変わってしまったらしい。
それを注意したところで、一切聞くわけもない父なのだけど。
 
「お風呂沸かそうか?」と言う母に
「いや、自分でやるからいいよ。」と返した父。
 
それが、最後の姿になった。
 
たまたま母が長寝した次の朝に、父はもう帰らぬ人になっていた。
 
たった2日前。
決して難しくない手術だけど、NZから電話で励ます私に
「手術が終わったら連絡するから。」と
いつものように、前向きで元気な声を聞いたばかりだったのに。
 
父は「自分はこうやって死ぬ」ということを伝えていたのは
家族の中で、どうやら私にだけだったらしい。
 
だからその通りに本当に死んじゃったから、仰天した。
しかも、こんなにも早く。
周りの誰もが、しぶとくあと10年20年
生きるに違いないと思っていたのに。
 
当日も、長年の日課の筋トレをちゃんとしていた。
 
自分がつらい姿を見せるのをすごく嫌う人だったので、
父らしい最期といえばそうなのかもしれない。
 
 
母は、驚きとショックで呆然としているのに
自宅で人が亡くなったということで、
検視やら何人もの警官からの質問責めに、対応しなければならなかった。
 
昔は石原裕次郎ばりで、プライドの高い夫の
変わり果てた最後の姿。
寒いだろうからと、毛布をかけてあげることも
さすってあげることもできなかったそう。
それが母には、すごく応えた。
 
父の最期は、多くの人から
「ピンピンコロリ」で理想的な死に方だと言われた。
 
でも残された母には、元看護婦であっても
あの夫の最後の姿は、相当やりきれないものだったらしい。
 
「庭の竹林を眺めながら、迎える穏やかな死」を願っていた母は
家で死ぬのはイヤ、危なくなったら病院に入れて逝かせて、と言うようになった。
 
 
<尊厳死の法制化の動き>
 
葬儀や後始末、手続きに追われていると
ありがたいことに、たくさんのご近所さんが声をかけてくれた。
 
その中で
『尊厳死宣言をする人が増えている』から私もするわ。」と言う声がいくつかあった。
自民党が終末期医療のあり方に関する新法制定を
検討するというニュースもあった。
 
連れ合いが亡くなるのは悲しいことだけど、70代80代にもなると
生きている人間の「これから」を考えるほうが大事だ、という。
そんな先輩未亡人達と母の会話に、横で耳を傾けた。
痛いのは嫌だけど、家族に迷惑かけたり
たくさんのチューブに繋がれてまで自分は生き続けたくない、と。
それは、私でもそう思う。
 
母も自分の母親を
「なんであの時、あのまま行かせてくれなかったんだ」と
言われながら看取ったのを悔やんでいる。
100歳近くまで生きた義母も、もういいから早く逝きたいと願っていた。
だから母は、自分はあんな風に、自分の意思に反して生かされたくないと思っている。
 
終末期医療で、延命措置を望まないことを自ら意思表示するための文書は
事前指示書や意思表明書とか
リビング・ウィル、とか言うそう。
 
 
尊厳死宣言公正証書
 
 
初めて葬儀を出すことになった私達実家の家族には、
知らないことがいっぱいあったので
兄弟が「親の没後の手続きの本」を買ってきた。
そこにも終活準備やリビング・ウィルの作成方法とかが書いてあった。
 
突然父ちゃんが死んで猛烈に後悔して悲しいというのに
母ちゃんの死ぬときのことまで、考えなくちゃいけないのは嫌だったけど
母ちゃんの意思を可能な限り尊重したいから、それは大事なことだった。
 
 
長男の嫁として、それなりに嫌な思いをしてきた母の愚痴を、延々と聞いた日々。
 
NZで同じように、いつも電話で聞いてたことだけど
「母ちゃんの不満の毒出し」が必要だろうと思った。
ひと月半、思い切って日本に帰ったのにはそういう理由もあった。
 
長いこと母や兄弟の話を聞いていると、今年に入ってからの父は
本来の父とは違うようだった。
 
人に言われていることがちゃんと理解できなくて、チグハグな返事になって
周りが自分の言ってることを理解できていないのを
父自身も感じていた、と兄弟は教えてくれた。
それでも兄弟のおかげで、父はギリギリまで仕事を続けていられた。
 
本当は優しいのに、もともと口が悪く頑固だったから
母と言い合うこともよくあった。
 
そのせいで、このところ父の頭は混乱していて
怒りっぽくなったかと思うと、子供のようになったりして
本来の父とは違っていたことにも、母は気がつかなかった。
 
得意な事、仕事、車の運転はしっかりできていた。
それ以外が、頭の切れる父が、チグハグになっていった。
何度も私や孫達に咎められて、やめる努力をしていたタバコは
たがが外れたように、起きてる間はずっと吸っているような状態になってしまった。
 
手術するからタバコは厳禁、と
お医者さんにきつく止められていたのに
全然やめるどころか増量していった。
案の定、タバコのせいで起きる症状が出てしまって
あっさりと父をあちらに、連れていった。
 
でも死んで、やっと落ち着いて振り返る余裕ができたから、
この頃混乱してて、不自由でつらかった父のことを
家族で考えることができた。
だから、大変だった父の言動を持ち出して
もう腹立てる必要はないよね。母ちゃん。
 
長年溜まっていた母の中の淀みを思い切り吐き出した後で、
もう(口うるさい)父ちゃんはいないんだよ、
母ちゃんの好きなように生活していいんだよ、とわかってほしかった。
ずっとそばにいることはできないから。
 
うわさ通りおもしろい「チコちゃん」に、母娘で笑いながら。
 
これからは、好きなように暮らしてね、と話した。
 
 
<年輩者を食い物にする消費社会>
 
父の片付けをしていたら、
今どきこんなに複雑な、スマホやインターネットの手続きあり???とか
お年寄り一人の体に、こんなに摂取する必要があるのか???
というほどの大量の健康食品を、あちこちから定期購入していて。
 
母はまったく把握していなかったので、
スマホ解約にも代行業者マルトクに、違約金一万円
ネット回線のための光デジの違約金も、九千円以上。
とにかく出国ギリギリまで、解約手続きが続いた。
 
本当に私でもイライラするあんな複雑な手続きを、お年寄りにさせて
混乱させて解約しづらくして、
他の安くていいサービスに移行させないようにしているのが
見え見えで、悔しい。
 
お年寄りが拒否しても、丸めこもうとするのが多くて
こんな業者に、私たちの親は狙われているのだ。
 
 
固定電話も、勧誘ばかり。
ある日なんかは、夜9時に大きな声で電話がかかってきて。
 
バカ:あのね〜!北海道の漁港でカニの販売をしてるんだけど、おたく〇〇〇〇さんちだよね〜?
 
私:…..どういうご用件でしょうか(怒)?(〇〇〇〇は父の名らしいが、読み方が全然違う)
 
バカ:もうすぐ年末だから、〇〇〇〇さんカニどうかな〜と思って!
 
私:…..あのですねえ!!!(怒怒怒 本人死んだんですけど!)
 
バカ:あああぁ。もういいや。(ガチャン、と切れる)
 
 
こんなの、私が出たからよかったけど
母が出たらきっと怖かっただろう。
別の日には、無言電話もあった。
だから固定電話もなくすことにした。
そういう奴らを許せない兄弟達が、近くで目を光らせてくれるだろう。
 
<終活の大切さが、身にしみた。>
 
職人気質の父は、とにかく息苦しくなるほどに物が多い。
それを処分するのも大変だけど、
後始末で困ったのは、銀行口座の名義人死後の解約だった。
 
預金額が少額だと、通帳とハンコといくつかの書類記入で解約できた。
 
本来は夫婦である相続人の母が書くべきなのだけど、
母は疲れ切っていたので、私の手続きでも大丈夫だった。
ただ母を、銀行や役所には連れて行かないといけなかったけど。
 
数十万円以上になると、父と相続人全員の(妻・子供)戸籍謄本と
相続協議同意書、実印、印鑑証明が必要になった。
 
戸籍謄本を請求しても、役場によっては
父と子供の関係が記載されていないところもあって
「原戸籍」というのを請求しないといけなかった。
 
そして、日本で実印のない私は
NZに戻って日本領事館から、サイン証明と在留証明を請求して送らないといけない。
 
仕事や小さい子の育児で忙しい、日本の兄弟達の負担にならないように
できる限りの面倒な手続きを、私が済ませたかったんだけども。
 
家の重要な書類のありか、印鑑、暗証番号や通帳や預金、保険があるのか?
いくつあるのか?
名義変更は誰にとか。
元気なうちに家族に分かるように
「書面やノート」に残してもらうのって、とても大事だなって思った。ホントに。
 
うちの母も、子供達があちこち駆け回ってるのを見て
「いざという時のための指示書」をこれから残すつもりだそう。
残った子供達が大変だから。
 
 
<親の死を受け入れられるのは、いつだろうか。>
 
どうしても、後悔の念は押しよせてくる。
波のように。
 
NZ移住の時、成田空港であわただしく握手をしたのが
あれが最後の父の力強いぬくもりになろうとは、露ほども思わなかった。
 
10年以上も、日本に帰らなかった。
 
ごめんなさい。
 
育児と生活で精一杯だった。精一杯すぎてた。
 
あの頃。不当解雇にあったことも労働搾取も
何年もかけて闘わないで
他の人みたいに「なかったこと」にして
両親の元気なうちに、顔見せに帰ればよかったんじゃないか???
バカじゃないか?私。
 
よその国の政治に首突っ込んで、
国全体のためだとか政治活動してないで
両親との時間を過ごせばよかったんじゃないか???
 
 
ある人が、父親の死を受け入れられるまで3年かかった、と
この前教えてくれた。
それくらいは、かかるものなんだろうな。
 
 
本当は、葬儀にも出られないかもしれないピンチがあった。
 
ここには書かないけれど、
ピンチを救ってくれたNZの人達の思いやりのおかげで
通夜には間に合わなかったけど、
葬儀には間に合うことができた。
 
骨になる前に、父ちゃんの顔を最後になでてあげることができた。
 
骨壺に全部入りきらないほど立派な骨は、全部入れるために
火葬場でバキバキ砕かれてしまうことに、私達は驚いた。
 
それでも残った立派な骨を分けて、NZに連れて帰ってきた。
生きている時は、来ることのなかったNZに。
 
忙しい私達に気を使って、遊びに来なかった私達の家に。
 
念のために、火葬許可証を翻訳して持ってきたけど
空港で「父の遺骨なんです。」というと
同情されたのか、それはいいよと言われて。
翻訳を見ることもなく。
 
 
ほんとは、もう少し子育てが落ち着いたら
ミルフォード・サウンドとか連れて行ってあげたかったんだよ、父ちゃん!
 
ほんとに、もう、逝くの早すぎるよ。
 
 
「お前は、一番父ちゃんに似てフロンティア精神があるから、頑張れ。」と言って
NZ移住に送り出してくれて、孫たちの成長を喜んでくれていた父。
 
私が簡単に帰れないのを知っていて
会えなくて寂しいのを、言わないでいてくれた。
 
 
海外暮らしじゃなくても、親と離れて暮らしていれば
後悔すること誰にでも、起こり得る事だろう。
 
これを読んでくれているあなたに、ご健在の親御さんがいたら
ぜひ、会って話す時間を作ってくださいね。
 
元気だ元気だと思ってたら、
別れの時がきてしまうのはあっという間だったから。
 
 
さあ。
日本に帰るのに、仕事辞めなくちゃならなかったから
新しく仕事見つけなくちゃ。
 
がんばろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

親の死に目には、会えなかった。やっぱり。

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主のいなくなった、サボテン達。
 
 
親と離れて暮らしていると、なかなか親の死に目には会えないらしい。
 
海外暮らしだと、もっとそうなんだろうな。
 
***
 
突然、父はこの世から旅立っていった。
 
11年近くも会えていなかったのに。会わないままで。
 
近所でも人一倍元気そうで、まだまだこれからというのに。
 
死ぬ2日前の電話では、いつも通り元気に笑い合ったのに。
 
本人もまさかこんなにあっけなく逝くとは、思わなかったのだろう。
終活なんて全然してないで、放ったらかしで。
 
職人の父のモノと道具が、家中所狭しとあふれ
家の外にまでこれ見よがしに、牛耳っている。
 
俺は、ここに居たんだ。
 
「片付けできないから、あと頼むよ。」と言ってるのだ。きっと。
これまでのように、私ならなんとかしてくれると勝手に期待して。
 
悲しむ余裕もないほどの後始末に、追われる。
悲しまないよう、山のように後始末を残していったのは
父ちゃんの優しさ?
 
主のいない、息苦しくてめまいがするほどに魔境化した「俺の城」を
一人黙々と、呼吸ができるように片付けていくのは
 
家族の中で、一番の適任者の娘である私にとっても
突然の別れを消化していくのに、必要なプロセスとなった。
 
毎日を共に過ごしていたからこそ、気づけなかった母のためにも
いろんな小さなことでも、気づきやすい私が引き受けた。
 
この頃は、こんな風に動けて整理ができてた。
この頃には、こんな風に動けなくなって、整理もできなかった。
 
もどかしいさ、あきらめ、怒り、悔しさ、思いやり、希望。
 
本人はいないのに、うずまく感情の中で
黙々と作業をする。
 
頑固で人に弱々しいところを、見せるのが大嫌いな父は
どうしようもなく弱くなる前に、人生を終えた。
 
あっけなく幕を引いたけれど、父ちゃんらしい。
 
人にも立派だった、うらやましい死に方だったと言われるから
エンドレスのような片付けに
うんざりしながらも、少しづつ現実を受け入れてきている。
 
会えなくて寂しかったのは、よくわかっていたよ。
 
小さかった孫達とは過ごせたし、
その孫達はそれぞれ夢を持って、未来に向かって生きている。
 
父にとっては、それが大きな希望で
何よりも楽しみなことだった。
 
自分の思いが、孫の世代にも伝わっていくことを
確かに噛みしめて
最後まで生きることはできたのだから、よかった。
と、思うことにしよう。
 
 
それにしても、およそ11年ぶりの日本はすごい違和感….
 
実家も自分が育ったとこなのに、すごく変な感じ。
 
久しぶりすぎて慣れない感覚が、落ち着かないけど。
 
強烈な浦島太郎体験は
 
なんだかおもしろい。
 
 
「俺が死ななきゃ、〇〇は帰って来ねえんだよ!」って
 
言ってるよね、きっと。
 
 
ごめんね、父ちゃん。
 
 
もう体なくなったから、いつでもニュージーランドに飛んできてね。
 
 
 
 
 
 
 

息子とAPD11。トマティストレーニングを続けてみて。

 
はぁ....風邪ひかないって、大事だな。
 
 
去年の今頃、診断された次男の聴覚情報処理障害(APD)。
そのあと、Tomatis トマティストレーニング
クリスマス前に始まって、9ヶ月が経過しました。
 
できれば、NZの高校卒業後の進学に重要な、今年11月の校外テストまでに
全部終わるといいなぁと期待していたけど、
 
最後の4回目セッションが、延期になってしまいました。
 

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原因は、この冬2ヶ月ほど続いていた風邪
 
この時の風邪はしつこくて。
APD障害の原因らしい中耳炎になった
4年前の風邪とそっくりでした。
咳と鼻水と、熱が上がったり下がったりして
嫌な感じがしていた。
 
治ったと思っててこの前受けた、トマティスの聴覚テスト。
指導してくれている先生のエスメに、
残念だけど、この前の風邪で中耳炎になってるかもしれないから
GP(かかりつけ医)に行って診てもらって、と言われました。
 
で、GPに行ったら
中耳炎ではないけれど、「鼓膜にハリがない」から、
鼓膜の向こう側に分泌物があると思う。
春になってもっと暖かくなったら、ひと月くらいで
自然に流れてクリアになるはず。とのこと。
 
次男にまったく自覚症状は(鼻水が出るとか)ないけど。
 
鼓膜、DULLって言ってた(泣)
 
ともかく鼓膜が、通常の健康な状態じゃないので
とにかく、今は鼓膜の回復待ち。
 
進学したい次男の希望を
高校最後の年だから、できる限り後押ししたいと言って
4回目のセッションを追加料金なしでしてくれるエスメ先生
いつも本当に、ありがとう。
 

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From: https://www.tomatis.com/en/sessions

トマティスのプログラムは、
1セッションが通常は
1日2時間で脳トレーニングを13日間(または1日1時間で20時間)。
そのあと、
定着期間(トマティスはお休みで、フォーブレインで発声トレーニング4〜6週間)。
 
で、聴覚テストしてそれぞれの状態に調整されたプログラムで
3〜4回セッションが続きます。
 
 
<トマティスをやってみて、よかったのか?>
 
次男は
一年前、障害があることがわかった頃にはすでに
その前に3年半、「プールに潜っている」ように耳の聞こえが悪かった。
 
だから進路を決めないといけないのはわかっていても
自分の成績で将来何ができるのか?
自分はどんな道に将来進めばいいのか?わからない
様子でした。
 
そして、障害があることがわかってから
ジタバタする私がこぎつけた、
トマティス(教育)と遠隔マイク補聴器(医療)のサポート。
 
その教育と医療の専門家が
「APDは、脳の障害だからトレーニングできるんだよ。よかったね。」
励ましてくれたおかげで、
堰を切ったように、
進学して「ある道」に進みたい、それしか考えられないと私たちに訴えました。
 
もちろん止めも反対もしないけれど
それは、去年までの成績では叶いそうにもない厳しい道でした。
 
でも一年経った今。
 
叶うかもしれない、に変わってきました。
 
去年のNCEA Level2と今年のLevel3の成績は、全然違います。
もちろんLevel3のほうが難しいのに、断然よくなっているのです。
 
それに、本人のやる気が全然違います。
 
険しい道だとはわかっていても、そっちに進みたいのが
ひしひしと伝わる。
 
私たち親は、止めも反対もしないけど
今は、もしや可能性がないわけじゃ、ないんじゃないか?という気持ちです。
 
そんなにやりたいのなら、とりあえずそっち方面に行ってみたらいいよと。
行くなら、本気でいけ!って。
 
だから私たちは、トマティスをやってよかったです。
 
「やるしかない」という危機感と
「面白そうだからやってみようよ」という好奇心が
私の中に両方あって、それを信じてついてきてくれた
次男本人と、夫にも感謝です。
 
<人間の体だから、合う合わないはあるはずで。>
 
「障害がある」と言われた去年の今頃は
日本でいう高校2年の終わり。
 
最初の改善法の可能性、遠隔マイク補聴器が高額で無理だろうと言われて
私には時間がなくて急いで「なんとかできる」方法を
早急に探し出さなきゃいけなかった。
 
それが、トマティスでした。
 
体験者の意見だけではなく、
研究論文と検証をたくさん、夜遅くまで読んで
勘で「これでいこう!」って、決めました。
 
選択するのは自分の責任。
 
結果はどうであれ、「何か」をやるしかなくて。
やらなきゃ、きっと後悔すると思ったから
結果が変わらなくても、自分が(母として)決めたこと。
あの時の衝動に従ってよかった。
 
だから、もしトマティスをやってみることを考えている人は
ぜひ研究や検証を英文だけど、読んでみることをおすすめします。
 
人のせいではなく、自分が納得して、決めること。
 
 
障害の診断と
進路決定と
改善サポートとの出会いが
たまたま一度に起きたことが、幸いだったのかもしれないけれど。
 
この一年で確実に、次男に変化が起きて
本当によかった。
 
成績が良くなっているのは、もちろんなんだけど
彼が、難しそうでもあきらめなくて
自立して生きる道を進みたがっていることが
親としては、一番うれしいんですよね。
 
***
 
このブログでは、「障がい」ではなく「障害」と書いています。
 
それは、この漢字の使い分けの話を次男にした時。
 
このニュージーランドで英語で
Disorder 障害
Difficulty  困難、と
気を使って使い分けられるのに、似ているかもしれないのだけど。
 
「どんな言い方にしたって、害は害だろ?鬱陶しいのに、変わりないよ。鬱、陶、しいの。」って
イライラして彼は言いました。
 
もちろん「障害」じゃなくて「個性」だという考えもあります。
 
でも、“Disorder IS DISORDER."って困っている本人がそう言っているので、
ここではそうします。
 
Tomatis トマティスでは、聴覚情報処理障害(APD)だけではなく
発達障害や学習障害、不安障害などにも対応しています。妊婦さんや言語習得にも。
 
ADHD
自閉症やアスペルガーなどのASD
全般的発達停滞(GDD)
強迫性障害(OCD)
反抗挑戦性障害(ODD)
不安障害
うつ
トラウマ
聴覚過敏….
 
学習障害(LD)では、
ディスレクシア(読解)
ディスグラフィア(書字障害)
ディスカルキュリア(算数)など。
 
 
聴覚情報処理障害(APD)は、ADHDやディスレクシアと混同しやすいそうです。
 
ちゃんと指示が聴こえていないからなのに、ADHDの注意力散漫だと思われたり
思考を書いて表現するのが、同年齢と比較して遅れがあるので
ディスレクシアだと思われたり。
 
なので確実に判定するために、APD専門の聴覚士だけではなく
教育心理学者による検査と診断が必要でした。
この次男のレポートだけでも10ページ以上あります。
 
その結果、息子にはADHDやディスレクシアはなく
聴覚情報処理障害(APD)のみ、です。
 
最近、日本でも発達障害や学習障害が語られているので、
よかったなと思っているのですが
APDの症状が
ADHDやディスレクシアに紛れて語られているような感じがして
どうも気になります。
 
次男のお世話になっている専門家たちも、
他の発達障害・学習障害などとの判別はとても難しいので、
適切な指導のためにも正確に判断されるべきだ、ってよく言ってました。
 
ADHDでは投薬をすることもあって、APDでは薬治療がないのに
ADHDと誤診されて不要な投薬をされでもしたら、大変です。
 
 
<「障害」じゃなくて「個性」だという考え>
 
次男は、友人やよその人に障害があっても
それは個性で、別に悪いことじゃないと思っています。
 
だけどいざ自分が、よく聴こえないようになって
イライラするその症状が障害だとわかってからは、
自分の身に起きているこれは、「障害は障害だ」と言っています。
 
本人が嫌気がさしてるから、私は懸命に改善法を探してきて
本人もまっすぐに取り組む。
母親の私がいくら「障害じゃなくて個性だよ。」と言っても、スルーするでしょう。
 
社会全体としては「障害」を「個性」と捉えてほしいと思います。
 
だけど本人の言う「障害の鬱陶しさを、できるだけなくしたい」
と思う気持ちも、尊重してあげたいのです。
 
親がいくら「障害」は「個性」だよと思っていても
 
子のほうは、成長したら
なんで障害をどうにかしてくれなかったんだ?と思うかもしれない。
 
移住者の英語習得において、夫の生徒たちからも
同じような意見を聞くことがあります。
親に対して、なんでどうにかしてくれなかったんだ?って。
 
本人が「生きづらさ」を感じているかどうか?もそうだけど
その本人が思ってなくても
本人の周りの大切な人が、カサンドラ症候群のように
「生きづらさ」に至るまで、苦しませてしまうのはいやだなと。
 
 
次男はこれまで、たくさんのいい友達に恵まれているけれども
最近よく聞く、カサンドラ症候群の人の葛藤や、つらさには
考えされられました。
 
次男の障害の場合、
彼のこれから出会う人々に、障害のせいで理解し合えない経験は
なるべくしてほしくないと思うから、できるだけのことはしていきたい。
 
「個性かもしれないけど、障害ではある。」と本人は、とらえています。
 
 
移住したばかりの土地で、
知らない文化と言葉と勉強についていくのに必死だった頃。
サポートの必要な生徒たちのサポートを
大人からのプレッシャーで
せざるを得ない状況だった長男。
 
娘のクラスでは
ある生徒の、小学校から高校でも変わらない症状に
日々困惑している、他のクラスメイトたち。
周囲に迷惑をかけてもわからないから、よく思われていないことも。
悪い子じゃないのに。
 
母親の私も、小学校から高校に入るまでずっと
知的障害のある友達の隣の席や同じクラスになっていた。
先生が、その子が私のそばにいると落ち着いているからという理由で。
それはその通りだったし、友達なのでちっともいやな訳はなかった。
だけど私の母のほうが、その子の親から
ありがとうの気持ちも何もないことを、よく思っていなかった。
 
その子がある日興奮して、私を突き飛ばしてしまい私が骨折した時も
その子の親からは謝罪も何もなかったから、母は怒っていたけど
母も、その子のきれいな心が好きだった。
残念なことに私が子供を持ったことを、なかなか理解してもらえなくて
家庭を持ってから会えなくなってしまったけど、40をとうに過ぎた今も
会えないけど元気でいてね、と願っています。
 
 
障害のある人を包む周りの環境が
いつでも、あたたかくあってほしいけど、そうとは限らない。
包むほうだって、感情のある、人だから。
 
何も、APDの症状を一切無くそうとしている訳じゃなくて。
絶対に聞き間違えはしない、とか
プランニングは完璧!とかそんなパーフェクトにならなくていいから。
 
APDがある人は、聴いて理解しようと人一倍集中するから
1日の終わりには、脳が人一倍疲れて
耳からの音の情報をシャットアウトしてしまうこともあるのです。
 
だから彼が自立してからも、このことで生きづらくならないようにと
できる限りの事をしているのです。
 
次男のこれから出会う人々が、不必要に困らないように
彼もそのことで、心を痛めないように。それだけなのです。
 
次男は、改善トレーニング始めてからたった9ヶ月で
本当に毎日が、ずっと楽になったのが見ててもわかります。
 
トマティスは、あと1セッションあるし
遠隔マイク補聴器も、最低2年は使用することになっています。
 
アメリカでは、5〜10人に1人
ニュージーランドでも、把握できているだけで20人に1人の割合に起きるAPD。
多くの生徒が、クラスの最前列で授業を受けるだけの指導しか
受けられていないそうだから
次男は、とても恵まれています。
 
だから多くの人に知ってほしい。
 
もし、つらさをどうにかしたいと思っていたら
 
こういう方法も、あるんですよって。 
 
 
トマティス・コグメド指導員のエスメ先生も
発達障害・学習障害者への教育指導をしているそうです。
 
だからAPDだけではなく
発達障害や学習障害、不安障害などがある人も
Tomatis トマティスで、症状を軽減、改善したい人がいるかもしれないので
本人の許可を得て、綴っています。
 
これはニュージーランドでの体験談ですが
どの国でも大体似たように、進められるんじゃないかなと思います。
 
 
 
 
 

こんなニュージーランドは、イヤだ。

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NZの10ドル札で見つめる女性活動家、ケイト・シェパード Kate Sheppard。
 
NZで暮らす人だけではなく
 
1年、3年、5年後
いつか、この国で暮らしてみたいあなたへ。
 
ちょっと、考えてみてほしいんです。
 
 
ニュージーランドが、他の「海外暮らし」とちょっと違うところは
 
「移民でも、永住権があれば投票できる」ということ。
 
 
***
 
1893年9月19日。
この日、ニュージーランドでは選挙法1893が制定され、
世界で最初に全女性に選挙権が認められました。
 
NZの婦人参政権運動団体の主要メンバーであり、イギリスから移住してきた
ケイト・シェパード Kate Sheppardを始めとする活動家たちの
長く厳しい闘いの末に、勝ち得た権利です。
 
そしてこの9月には、
ニュージーランドでは女性の参政権125周年記念がありました。
 
 
人気コメディ「The Funny Girls NZ」の記念番組のコメディタッチな予告編に、
ジャシンダ・アーダーン Jacinda Ardern首相も参加。
 
スタッフ全員女性でそろえたから、人件費が安上がりでいいと言ってるとこに
ジャシンダが、ちゃんと払わないとダメとツッコミ入れてます。
 
この中のジョークで、ケイト・シェパードが喉にパンチしたという元首相は
実は、夫の大親友の祖父か曽祖父。
家族ぐるみで長い付き合いの元首相の孫たちの政治観は、おじいちゃんとは違うけど。
 
あの時代に、長年の友人のおじいさんが首相として尽力した国、ニュージーランド。
 
 
現在では、女性だけではなく
18歳以上のNZ国籍保有者とNZ永住権保有者が、投票できます。
 
永住権があれば移民でも、投票できるのです。
 
トランプ政権になったアメリカの選挙では、
あの坂本龍一さんや野沢直子さんも「投票はできない」って言ってたような。
野沢さんなんかは、トランプが勝ったら
アメリカから引っ越したいっていうほど嫌がっていたから、大ショックだったろうな。
 
移民だから、長年暮らしても政治参加で
国を良くすることができないのが、ほとんどでしょう。
 
でも、ここでは
移住先の国の政治に、参加できるのです。
 
 
 
***
 
<もしNational党が、今も政権を維持していたら?>
 
前回のニュージーランド総選挙では、
昨年2017年10月に
9年間のNational党政権から、Labour党主導政権に変わりました。
 
が。
 
「もしNational党が、今も実際に政権を維持していたら?」という仮定した
デヴィッド・コーマック David Cormack の論評が、わかりやすかったので
おおまかに載せておきます。(カッコ内は、私のつけ足した説明)
 
自ら「政治オタク」という、デヴィッドさんは
Labour党、Green党だけでなくNational党のビル・イングリッシュ前党首とも仕事した経験があるそうです。
 
***
 
「前回の選挙で、もしNational党が政権を維持していたら?」
 
National党が(選挙戦で)掲げた減税は、今ごろ実施されている。
高所得者がより多く恩恵を受ける減税のため、貧富の格差がさらに拡大する。
Labour党の社会保障の拡大は実施されないので、低所得層は少額(週$11か$20)受給できるが、ファミリーパッケージに貧困層は対象外。
所得に関係なく高齢者対象の「冬期の暖房費の補助金」は支給なし。
出産時の両親の有給休暇は、減額される。
大学の入学者数は、ほぼ同じの見込み。
 
世界で最も高額な道路がオークランドに建設され、車両数が増加する。
特にNational党は、公共交通機関の整備を拡大する気がないので、車の利用者も増加して交通渋滞はさらに悪化する。
トランプに端を発した貿易摩擦と、資本主義経済下の好不況の波が自然に終焉を迎えて、世界の経済状況は悪化。
にもかかわらず、ビジネスリーダー達はNational党を強く支持しているため、景況感が揺るぐことはまずない。
そのため、National党は安心しきっている。
 
社会福祉受給者にとっては、承認プロセスの厳格な制度とWork and Incomeからの公的手当が削減されるので、厳しい状況が続く。
未確認ではあるが、貧困層からの信頼はどん底であると予想される。
生活状況が悪化の一途を辿っている下層階級の救済に対応するための協議会を、ナショナル党が組織することは決してない。
 
最低賃金は物価上昇に追いつかず、希望も持てない貧困層の生活は改善しない。
 
保健大臣(ジョナサン・コールマン)は、相変わらずメンタルヘルス問題には干渉せず、対策を取るべき意見すべてを無視し続ける。
National党政権の提示した賃金は、現レイバー主導政権の提示した賃金の半分以下であったが、それでもストに入った可能性はある。
あるいは、National党政権が(医療危機)をまったく気にも留めていないことを看護師達は知っているので、ストライキを起こさないことも考えられる。(注:ある看護師団体の看護師が教えてくれたことによると、National党政権時にストを起こせなかったのは、契約書で制限されていたからで今年になってその期限が切れたそう。)
 
気候変動に対しては、暗黙の了解で「気候変動は、ホントは我々のせいじゃない」政策のため、同意するのは口先だけである。
パリ協定は、ビジネスと国の経済にダメージとなるのでほとんど無視される。
焦点はビジネス第一に当てられるので、景況感も安定。
National党政権も楽観。
 
労働団体の方針決定をアドバイスするナショナル党外部の専門家が不在なので、労働団体の約4000団体が減る。
それどころか、ジョナサン・コールマンJonathan Coleman(前保健大臣)が、医療分野で(コールマンにとって)最善の対策を指示する。(コールマンは公共医療危機を放置し続けた張本人で、現在は民間医療会社を経営している。)
 
病院や学校などの公共インフラの失策は、市場マーケットによって最終的に解決されるという考えを(ナショナル党は持っている)ので、大規模な道路建設以外は、眼中にない。
 
刑務所は倫理的・財政的な失敗であったと、ビル・イングリッシュ(前)首相が事実語ったにもかかわらず、特大刑務所は建設される。
刑務所制度の倫理的・財政的な失敗は続くだろう。
事実、厳罰化による経過の悪化が証明されていても、法と秩序の厳罰化計画に変化はない。DV被害者に対する休職の援助も制定されない。
引き続き、住宅危機の存在を否定するので、住宅価格はとどまることなく上昇し続け、不動産所有者の裕福感の上昇も続く。
この住宅価格の上昇によって、不動産所有者はクレジットカードからの借入や借金を今まで以上に増やす。
失望する住宅の未所有者数も増え、かわりにアボカドや現実的に利益の出せる商品に貯蓄を投資するように。
車の購買も「初めて買う家」同様に厳しくなる。
 
ナショナル党員の多くが中絶の現行制度について、なんら問題ないと考えているので(注:現行の犯罪法で中絶は「犯罪行為」)中絶法の改正は、決してあり得ない。
 
ニュージーランドの中間層にとって、目に見える変化はない。
大したことは起こらない。ただ退屈で効果のない政策が、継続される。
 
その間ずっとNational政権は楽観し続け、景況感も安定するだろう。
 
 
 
*****
 
デヴィッドさんの論評は、National党政権が9年間で
「困ってる人に手を差し伸べない」をやってきたことの続きと、
選挙戦で言ってきたこと。
 
私がLabour党を支持しているのは、
こんなニュージーランドに住みたくないから。
 
日本でのあたたかな人間関係と環境を絶って、選んだ生活。
移民としては、苦しむ誰かの存在を見ても見ないふりして
当然なこととして呑み込んで、暮らしていかないといけないのだろうか?
 
それが自分には、できない。どうしても。
 
Labour党メンバーになって、ドアノッキングとかして
不支持者とも話をしてきているのは
文句ばっかり言って、何もしない人間でありたくないからだ。
 
子連れで任務をこなすワーキングママ首相がいて、
ニュージーランドはリベラルだとかいうけど
それは何もしないで、空気のように自然に流れるものじゃない。
誰かの長年の努力や奮闘を見ようともしないで、ただただ満喫するだけの人たち。
 
それは女性参政権のために闘った人々のように、
フェイクニュースやデマや、変化を嫌う人たち
時代に合わない価値観、Me Me Me Me Meの
濁流に逆らい続けて、やっと勝ち得た権利だ。
 
 
Labour党の飲み会で、意気投合した大先輩が言っていた。
 
「投票できるのに、投票しないのは『生きていないのと同じ』」だと。
 
子供たちには、「バカな大人に、生活をコントロールされないように。」と
伝えているから、わが家では投票しないなどということはない。
 
 
 
論評にあるように、ビジネスリーダーと数年前から大量移住を許可した
主に中国人富裕層に、National党支持者が多い。
だから、全体の4割占める支持率は非常に固い。
 
「よくわからないけど、Nationalに投票するように言われたからNationalに投票する。」という中国人インド人の、なんと多いことか。
何言われようとも、苦しい立場の人たちの話をしても
(肥えた自分の懐は誰にも分け与えたくないので)
National以外に決して投票しないという富裕層も。
 
よく自分で考えるように説得しても「同じ国の〇〇さんに頼まれたから….」と
とにかく、自分の頭で考えない。
 
みんながそういうわけじゃないと思いたいけど、本当にうんざりするほど多い。
 
だから「今のジャシンダ政権いいな!」って思ってる人がいても
今後の選挙でくつがえされる可能性は、大いにある。
 
「困ってる人は放っておけ」政党に投票して
「困ってる人は放っておく国」作りに加担しているのに、
困ってる層から人種差別で攻撃されると、助けを求める。
 
???
 
貧困層が、外国の富裕層に国を乗っ取られていく無力感を
放っておくほうがおかしい。
 
移民が人の国に入って
我が物顔で自分のことばっかり考えてたら、受け入れたくないでしょう。
 
日本でも、そのうち在日外国人がどんどん増えて
うちの親兄弟とか、元々いる国民ないがしろにして
自分だけに有利な政党に投票したら、困る。
 
 
移民が自分の立場最優先で投票するのなら、
デヴィッドさんや、政治に熱心な住民のように
それによって何が起きるのか考えてみたらいいでしょう。
 
以前、中国人と間違えられて日本人が襲われたという被害があったけれども。
 
たくさんのアジア人学生を受け持つ、教員の夫も
いつも学生たちに注意を促しているけど
去年には、とうとうアジア人の元生徒が悲惨な襲撃を受けてしまった(閲覧注意)。
 
詐欺まがいや搾取する移民も
真面目に移住してきた移民も
 
自分と一部のことしか考えない移民も
みんなのために行動する移民も
 
外見からはわからない。
 
みんなのためにと思って行動する私も
いつか怒りの矛先を向けられてしまうことも、あるかもしれない。
 
 
10年以上の移住する前には、たくさんの日本人や非日本人の友人から
「人種差別目的の襲撃に気をつけろ。」とさんざん言われた。(あと、自殺の多さと)
 
残念なことに、今も無くなってないわけだから
もう移民は、ただ入ってきて暮らしてるだけじゃダメなんじゃないだろうか?
 
 
***
 
身近で、韓国人同士の搾取があった。
 
体験者として、負けないよう、気をしっかり持つように励ますけど
精神的に不安定で
闘おうと血気盛んになるのと
劣等感で無気力になるのと、早いペースで交互にやってくる。
すごく心配。
 
ニュースでも、中国人同士とか、インド人同士とか、なんなんだ?
またかぁ〜って思うのが、また嫌で。
 
労働雇用法の改正案が、国会で審議されていますが
イアン・リーズ ギャロウェイIain Lees-Galloway 移民・労働大臣が
「将来、政権が変わってしまったとしても揺るがない労働者の権利を、確保したい。」って、力説してました。
 
でも、ここで暮らしている人だけではなく
3年、5年、10年後
いつか、この国で暮らしてみたい人へ。
 
私もイアン大臣の言う通りだと思うし、支持しているけれど
新法をかいくぐるズルイ奴が、どうしても出てくると思うんです。
汚い奴は、とことん汚い。
 
だから、被害者を守る法律も大事なんだけど
被害に遭わないように
被害に遭う前に、食い止めたり避けてほしいんです。
 
自分のした嫌な体験を、他の人にさせないためにはどうしたらいいか。
 
私も不当解雇されてからも、元雇用主が責任逃れで重ねられるウソの数々と
国の機関の指示を無視したり失礼な言動の数々は
見聞きするこちらの方が、ビクビクさせられるほどだった。
 
イアン移民労働大臣に、元雇用主にされたことを話した時に
急変した空気と、あの怒り。
あれを横で感じて、確信した。
 
私が体験したことは
今後も「被害を食い止めるための体験談」として、
 
これからも不正行為を防ぐために、被害者を増やさないために
その手口を公開し続けるつもりです。
 
フツーに考えれば
賠償金支払いを逃れればいいと思っているだろうけど、とんでもない。
 
私の得たかったのは、自分の体験を公開する権利。
被害を食い止め、泣き寝入りしないよう、誰かの力になること。
夫ですら、もう諦めろと言っていた中で
弁護士なしで闘い抜いて、勝ち取った私の権利。
 
賠償金よりも、自分の周りの環境の誰かに変化を起こすこと。
 
ここで暮らしている人だけではなく、いつかこの国で暮らしてみたい人が
被害に遭わないよう、目を見開いてもらえるように。
3年、5年、10年後でも。
 
 
***
 
時々、
「日本の教育は良くない、海外の教育はいい」と
決めつける声を聞くけど、本当にそうでしょうか?
 
日本で子育てしてた頃は、
ミックスの子どもがいじめられないように
心配な私は、幼稚園や学校ご近所ママ友、
あちこち動いて話をして、理解をしてもらうと
あの頃の子育て環境は本当に良かった。
 
親の自分が育った時代と、今の教育は違っているところもあるのに。
決めつける人は、状況を変えようと
実際にたくさん行動して、話し合ってきたのだろうか?
 
日本もやだ、移住先もやだ、じゃどうしようもない。
 
 
でも
こんなニュージーランドは、イヤだって感じたら。
 
環境を変えるには、まずシステムを変えて
人々の意識も変えないといけないから
 
それが、移民でも永住権があれば
政治参加からできるのが、ニュージーランド。
ヤキモキしても傍観してないで、ちゃんと投票できる。
 
NZでは、Nationalが最大政党で
Labourが次で、NZ FirstやGreenなどの小さい政党があります。
 
もうほっといても、Nationalは最大政党。
だから、前出のデヴィッド・コーマックさんの指摘する政策がイヤだったら
Labour党を支持する、大きなたくさんの力が
もっともっと必要なんです。
 
先日、オランガ・タマリキのソーシャルワーカーたちが
元々が、最低賃金並みだったそう。
 
前のNational政権が、現場の声なんか無視し続けてきたから
やっと聞いてもらうための協議やストが、行われている。
溜まりにたまった問題を、一気に解決することはできなくても
もう変化は起き始めています。
 
投票権を生かさないで、起きる影響も
国民一部のために投票して、起きる影響も
国民全体のために投票して、起きる影響も
 
それは、一人ひとりの責任。
 
元々いる住民のせいにして、傍観者でいることはできないのです。
 
移民であっても。
 
 
でも、そのほうがよくないですか?
 
 
ともあれ、昔の首相の孫たちは
今のニュージーランドの政権を、喜んでくれています。
 

 

 

ChromebookのWi-Fiがつながらない。。。

ニュージーランドの学校での勉強には、学校からこういう指示があります。
 
 
BYOD
 
Bring Your Own Device.自分のデバイス持ってきなさい。」
 
 
なので、子供が3人のわが家でも
みんなの分を用意しないといけませんでした。
 
Laptopは15インチのものが多いので、
重くない11インチのChromebookのほうを使っています。
 
これまでの高校5年間では、ICTの課題を家でしないといけない時以外は
Chromebookで、ほぼ十分みたいです。
 
 
<Wi-Fiがつながらない。。。>
 
「やっぱりダメみたい。」
 
先日
再起動してみてもWi-Fiにつながらないと言って、Chromebookを持ってくる娘。
しかも、夜。
 
学校でも数日つながらなかったそうで、家でもだめ。
 
なので「Powerwash」という、設定からの初期設定をしてみました。
 
ニュージーランドの学校での勉強には、学校からこういう指示があります。
 
 
「BYOD」
 
Bring Your Own Device. 「自分のデバイス持ってきなさい。」
 
 
なので、子供が3人のわが家でもみんなの分、用意しないといけませんでした。
 
Laptopは15インチのものが多いので、
重くない11インチのChromebookのほうを使っています。
 
これまでの高校5年間では、ICTの課題を家でしないといけない時以外は
Chromebookで、ほぼ十分みたいです。
 
 
<Wi-Fiがつながらない。。。>
 
「やっぱりダメみたい。」
 
再起動してみてもWi-Fiにつながらないと言って、Chromebookを持ってくる娘。
しかも、夜。
 
学校でも数日つながらなかったそうで、家でもだめ。
 
なので「Powerwash」という、設定からの初期設定をしてみました。
 
 
 

Chromebook を初期状態にリセットする

方法 2: [設定] メニューを使ってリセットする
  1. Chromebook にログインします。
  2. アカウント画像をクリックします。
  3. 設定  をクリックします。
  4. 下の方にある [詳細設定] をクリックします。
  5. [Powerwash] で [Powerwash [再起動] をクリックします。
  6. 表示されたボックスで、[Powerwash [次へ] をクリックします。
  7. 表示される手順に沿って、お使いの Google アカウントでログインします。
    注: Chromebook をリセットした後、最初のログインに使用したアカウントが所有者アカウントになります。
  8. Chromebook のリセットが完了したら、次の作業を行います。
    • 画面の手順に沿って Chromebook を設定します。
    • 問題が解決されたかどうかを確認します。
 
でも、ダメでした。
 
明日も学校で使うのに、もう夜だ。
オンラインで買ってる時間がない。新しいの調べるのも面倒くさい。
 
次の買うのは、春休み入ってからか
できればクリスマスセールまで待ってほしい。
 
なので、調べて見つけたこのTech Guruさんの方法を試してみました。
 
<どうしようもないので、ダメ元でTech Guruさん式を試してみる。>
 
覚書として記しておきますが、自分もやってみるという人は
ぜひ「自己責任」でよろしくお願いします。
 
ようするに、Wi-Fi接続のワイヤーなどを、一度外して、つけ直すのだそうです。
どうして直るのかわからないけど、ダメ元でやってみました。
 

f:id:uto87:20180925191605j:plain

①Chromebookを裏側にして、小さいプラスドライバーでネジを全部取ります。
うちのは16ヶ所。なくさないように、カップにでも入れておきましょう。
全部外したら、サイドの境目を外して(爪でできた)裏側カバーを開けます。
 

f:id:uto87:20180925191828j:plain

②開けたら、本体左上の「黄色い丸」の部分に注目。
 

f:id:uto87:20180925191902j:plain

③「黄色い丸」の怪しい部分。
 

f:id:uto87:20180925191921j:plain

④白と黒の2本のワイヤーにつながったICチップ?
(名前がわからないので仮ICチップにしておきます)の
接続部分をとめてあるテープなどを、はがす。
 

f:id:uto87:20180925192123j:plain

⑤2本のワイヤーと仮ICチップの接続部分をはずず。ドライバーで簡単に取れます。
「上は白、下は黒」を唱えながら。何色が上で下かを、忘れないように(笑)
 

f:id:uto87:20180925192144j:plain

⑥外れた。
 

f:id:uto87:20180925192218j:plain

⑦仮ICチップのねじを外す。
 

f:id:uto87:20180925192238j:plain

⑧仮ICチップを、左にひっぱって外す。
 

f:id:uto87:20180925192509j:plain

⑨とれた!けど、また付け直します。
 

f:id:uto87:20180925192540j:plain

 
⑩仮ICチップに、白と黒のワイヤーをパチっと付けます。上は白、下は黒…..指でOK。
 
そして、
④のワイヤーの接続部分を止めてあった、テープをつけて、
裏側のカバーとネジをつけて。
 
ログインしてみると….

f:id:uto87:20180925192938j:plain

つながった!!!
 
 
初めは中身をいじるのに慎重だったから(おしゃべりも)
2〜30分かかったけど、大変じゃありませんでした。
 
 
これで、今学期はなんとか持ちこたえますように。
 
 
ありがとう、Tech Guruさん!
 
 
 
 
 

ニュージーランドで、おうちリノベ。其の弐

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お風呂に入ることを夢見て。
増改築の構想に5年を月日を経て、
やっと建築家にアイデア通りに製図してもらった図面。
 
でも、ここから先もつまづきました。
 
<受け入れられなかった日本風のお風呂>
 
なぜ、お風呂場全体を防水加工するウェットルームが
ニュージーランドで一般化されるまで、待たなきゃいけなかったかというと
施工してくれる業者さんが、なかなか見つからなかったからです。
あくまで私の周りでは。
 
機会あるごとに、「お風呂場全体の防水加工」のアイデアを伝えても
風呂場全体を、防水加工する必要がないという業者さんたち。
 
私のアイデアを図面化してくれた建築家と
パートナーの建築業者は「シャワーは費用節約のために『ボックス型』でいい。」と。
 
 
 
よく言われる「建築家とビルダーは、相容れない」現象がここにも。
 
建築家は私のアイデアに賛成で、
ビルダーは経費節約のためにバスルームを従来通りにしたい。
 
 
ニュージーランドのお風呂では、屋外にあるようなスパプール以外だと
『追い炊き不可能』でした(当時)。
 
だから水温を保つには、お湯を追加しないといけない。
 
お湯抜きしてから、お湯追加するのは、お湯のムダ使い。
 
お湯追加するために、体を洗ったりして有効にお湯を使うには
『風呂場全体の防水加工』が必須。
 
水のムダ使いにならないように入浴するための考え方が
日本の入浴スタイルを知らない人たちには、なかなか理解してもらえませんでした。
 
この「追加分のお湯」を
お湯抜いてから足すのか
体洗ってから足すのかじゃ大違いですよね?
 
その「お湯もったいない」感覚を理解してもらうのが大変で。
水道代も高いし。
 
私は、家族のための風呂づくりに燃えているのに
「風呂は、日本人の命なのぉぉぉぉぉ。」と伝えてもわかってもらえない。
 
 
そのため
普段は日本人だからといって、日本人にサービスを受けることはないのですが
この時ばかりは、日本人建築業者に聞いてみることにしました。
 
そしたら「お風呂への熱い情熱」をわかってくれる
韓国人の建築業者さんを紹介してくれたので
やっと増改築に着手。
 
あきらめかけてた子供たちも
「これはもう、ママの執念のおかげだね。」と言っていました。
せめて情熱、って言ってちょうだいよ….
 
 
<夫の教育:“デザイン熱”を育てる。>
 
わかってくれないのは、業者だけじゃなく
夫もでした。
 
大変そうだし、お金が、って。
 
家中の不便、特にバスルームを変えた方がいいというのは
家族みんな同意していましたが
いざ実行となると、尻込みする夫。
 
つべこべ言わずに、言うこと聞け!というわけにもいかず。
家族のことだから強制できないし
協力体制を作らないと、実現はできません。
 
おうち作りの情熱を、夫の中に点火しなくちゃ。
 
この頃の夫には、デザインにほとんど興味がなかったから
お家リノベの情熱を語っても、馬の耳に念仏。
 
それでも「古い日本家屋・日本文化好き」な、元在日外国人。
 
そこで
イギリス長寿番組のグランドデザイン Grand Designを、一緒に観るようにしました。
 
 オーストラリア版とニュージーランド版もあるので、ちゃんと観てました。
 
特に
イギリス版のプレゼンター、ケヴィン・マクラウド Kevin McCloud
建築や歴史に関する知識がとても豊富。
しかもウィットに富んでいて、ほれぼれするほど言葉の選び方が素晴らしいのです。
 
あれだけ長年観てきたんだから「うっとりするケヴィン語録」を
メモして残しておけばよかったなー…残念。
 
ワインは赤、のケヴィンらしく
芳醇なワインのような豊かな言葉の表現と
茶目っ気のある語りで伝わる
建築プロセスとデザイン性の美しさは
今では私たち夫婦にとって、大事な「心の栄養」ともいうべき番組です。
 
始めのうちは、
「このデザインだからこうやって効率的になったり
美しいラインや空間になってるんだよ。」と毎回教えていたのですが
そのうち夫にも、自分でわかるようになっていきました。
 
そうして、お互い好きなデザインや空間を共有できるようになって
ラッキーなことに、夫婦で好みが大体同じになりました。
 
コンテンポラリー
ミニマリズム
インダストリアル、とか。
 
夫の大好きな日本の建築や路地裏の閑寂さに
通じるものがあるのでしょう。
 
オーストラリア版グランドデザインだったけど、ある夫婦の好みが
夫:インダストリアル、妻:ファンシー、の家がありました。
すごくお金かかってるし、上手くコラボするのを期待したものの
結果はチグハグで残念なおうちに。
 
建築・増改築するプロセスの中で
途中から1日に嫌になるほど、たくさん判断しないといけなくなるので
好みや知識の共有ができるのは、とても役立ちました。
 
こんな風に、夫の「おうち作りの情熱」を発熱させるまでには
4〜5年かかりました。
 
 
<インプット(リサーチ)と、アウトプット(判断)の連続>
 
 
ビルダー達と私は話し合いだけで、頭の中でビジュアルが浮かびます。
 
でも、夫にはそれができませんでした。
 
建築プロセスでは、途中から
毎日多くの判断をしないといけません。
 
ビルダー達と私のやり方で、プロジェクトを進めるほうが早いけど
それだと夫が取り残された感じがすると言って、嫌がりました。
そりゃそうよね。
 
だから、雑誌やネットのビジュアルを使って可視化して
小さいことから一つひとつ、説明しなければなりませんでした。
 
それでも、結局デザインのことは、私が決定するんですけどね(笑)
 
平日も休日も、パーツや材料探しや調達にあちこち回らないといけません。
 
途中から、材料・デザイン・寸法とか即時に判断しないといけないことが
日々いくつもあって、決定を任されるのは私だったので、責任も重かったし
たくさんリサーチして勉強して、即決できるようにしなければなりませんでした。
ビルダーに「もう、セミプロの域だね。」と言われるほどに。
 
 
空気清浄の業者選びでは、大手業者のセールスで
「そのファンとフィルターの位置で、そこまでいうほど効率いいのかな?」と
疑問に思ったので
そのファンの製造元がドイツ語だったけど調べて、ドイツ人の友達にも確認。
そしたら、どうやら過大広告っぽかったので
再度の説明時にセールスさんに聞いてみたら、とても困らせてしまいました。
結局、別の業者に。
 
わが家では、家に住みながら増改築をしたけど、大変でした。
朝早くから業者が来るから、身支度を終わらせていないといけないし
1日の作業が終わると、細かい粉が作業エリア以外にも拡散しているので
床を拭き掃除してからでないと、家族に移動OK出せません。
 
できるなら、建築現場近くに住んで
毎日確認しに行くのが、一番ストレス少なくていいかも。
 
 
 
家族の体調が悪くなっていって
冷えを改善するためのお風呂を作ろうと発起してから、5・6年経ったころ。
 
<やっと、念願のお風呂に入れるようになりました。>
 

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 「ピラミッドの中にいるみたいなのがいいな」と夫が言ったので
そういう感じの掘り出し物のタイルを、
オークランドの端っこまで行って見つけました。
 
他のエリアもそうだけど、家族の意見をあれこれ取り入れました。
私1人で決めると多分エッジが効きすぎちゃうので。
 
 

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シャワーの床は、玉石のタイルでちょっと足裏のマッサージ。
 
 
浴槽は、ジェットバス。
ジェットバスにしたのは、ボコボコボコとマッサージ機能の他に
保温機能がついていたから。
 
ニュージーランドのガス設備では、どうしても「追い炊き」ができないんですよね。
 
だから、保温機能のあるジェットバスのショールームに行って
「保温温度は何度?」と聞いたら
そういう質問は今まで聞いたことない、とセールスもメーカーも
保温温度がわかりませんでした。
 
ね?これこそニュージーランドですよ。
 
脱力の国、ニュージーランド。
 
「脱力」=ほっとする、じゃなくて
がっかりの方ですよ。ほとんどが。
 
保温できるのが売りなのに
保温温度が、35度だったらどおすんの?体温以下じゃん。
 
調べてもらうことにして、後日行ったら
「おそらく38度くらい」との情けない答えが。
 
やっぱり。それじゃ冬はヌルいってことね。
 
でも、日本の風呂文化をこよなく愛した夫が
ボコボコマッサージを気に入ったので、これにしました。
 
やっぱり、家に取り付けても約38度じゃぬるいので、
お湯張りで40度くらいにしてます。
 
でもぶっちゃけた話。
ジェットバスじゃなくて、シンプルな浴槽でも
浴槽のふちが平らだったら、お風呂のフタを半分以上閉めたまま入るだけで
体が十分あったまるだけの保温効果は持続できると思います。

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こうやって。
 
ぬるめ好きが先に入って、熱いお湯足して
後で、熱め好きが入るとか。
 
浴槽は、NZでは浅くて長いのが多くて(なのでなるべく深いものを選びました)
うちのは、幅80cmと長さが180cm。
 
そこで規格サイズ外の風呂ぶたを、日本から購入しました。
 
ラインが気に入って、これにしました。けど、売り切れてるな。

こういうのとか。 
 
 
夜遅くに、ゆったり入るのに
このタイプだとパタパタ音がして、気になるという人は
3枚割タイプだと、静かめに入れるでしょう。
 

 
 
<6年ぶりのお風呂>
 
日本では毎日入ってた、お風呂。
 
子供たちも、3人一緒に湯舟に使って「おお〜な〜み〜小〜な〜み〜!」
日本の小学校で作る波プールを、お風呂でジャブジャブ
大笑いで波立てて入ってたのが、懐かしい….
あの思い出を作ってあげられて、本当によかった。
 
そしてNZ移住以来入っていない、6年ぶりのお風呂にみんな入りました。
 
みんなの感想は「すごい疲れた。」
 
入浴は思いのほか、体力使うようです。
 
よわっちいぞう、みんな!と最後に入った私。
 
予想外に、私も心臓ドキドキしてきて
久しぶりのお風呂は、ちょっと疲れてしまいました。
シャワー生活が長かったために、うかつにも私まで弱っちくなってしまいました。
 
***
 
またお風呂に入れるようになって、あれから4年。
 
ロトルアまで入りに行かないといけないのか、と途方に暮れてたのも過去のこと。
 
わが家のハラヨワ男くん。
成長したのもあるだろうけど
今ではもう、ハラマキを卒業したらしい。
 
 
それから、ニュージーランドの生活では
芝刈り、木々の手入れ、庭掃除がとても手間がかかっています。
夏なんか、しょっちゅう週末がつぶれて。
何のための庭?掃除するため?ってくらいに。
 
そんな汗だく泥だらけの庭仕事の後は、必ずお風呂に入ります。
 
利き手なんかは、プルプル震えるほど酷使するので
しっかり温めてコリをほぐすのが必須です。
Melvinsを聴きながら、半分瞑想。
 
寒がりなせいもあるかもしれないけど
けっこう夏でも、夕方から体が冷えているみたいです。
お風呂につかると「あ、冷えてたんだ。」ってジワジワ感じます。
 
おうちリノベ頑張って、一番よかったなあとしみじみ思うのは
ホカホカの肉まんみたいに頭から湯気立てて、夫がスッキリして出てくる時。
 
「体軽くなったなぁ〜」なんて言ってます。(なってない、なってない)
憑き物でも、落ちたように清々しく。
 
リノベーションでは
お風呂周りだけじゃなく、不便で効率悪い部分をあちこち直したので
今では昔のレイアウトを忘れたくらい、暮らしやすくなりました。
あるべき暮らしになった、というか。
もちろん、残り湯も再利用しているし。
 
元々はクレイジーだ!と反対され続けていたアイデア。
 
もっと早く賛成してくれれば
もっと早く快適生活に入れたんだよ、夫くん。
 
グランドデザインUKのケヴィンもよく言う
「予算の20%オーバーは想定内」は守れた。
それでも経費節約で、家の基礎部分は変更しなかったので
デザインの快適性を追求するのにも限りが出ちゃうな、というのは
作ってみて思いました。
 
やりすぎないでブレーキかけたのは
ここは、終の住処ではないだろうな、と思うから。
 
この家は、国内でも良い学校と評価されている小・中・高校の学区内にあります。
これまで書いてきたように、改善してほしいところはあるけれど
それでも、国内で比べると、これらはとてもいい学校なのです。
 
そして人口増加は今後も進むから、学区外からこれらの学校に入るのが
将来厳しくなることは、避けられないでしょう。
 
だから、この家は子育てをするのにちょうどいい。
 
私たちの子育ては後半に入っています。
私たち家族が暮らしやすかったら、
いつの日か暮らすであろう、別の家族にも暮らしやすいはずです。
そう誰かさんのことも考えて、改築しました。
 
 
だからいつか、初めから自分たちで好きなように全部建てて
グランドデザイン作りたいね〜と
夫婦2人で夢みています。
 
ケヴィンが来てくれるような?いや、NZだからクリスだな。
いや、やっぱはずかしいから静かに作ろう。
 
大きすぎる夢なんだけど、いつか。