Sparkling* 光ってるのどうする?

こんにちは、ウトです。こちらは 以前のBittersweet in NZ の続きです。主に、NZ暮らしでの体験や思いを言葉にして発したくなると綴る私感ブログです。

自分らしくいるために断ち切るのだ

今年は特に、時が経つのがものすごく早いように感じています。
 
毎年、Q4 第4四半期になると、これからのことを考える。
 
(私たちは来年以降どうなっていく? 自分はどうしたい?)
 

 

 

助け合って。
 
支え合って。
 
って、いいことですよね。
 
 
それが、
 
寄りかかり合って、くるようになってくると、
 
似てるんだけど、やっぱちょっと違う。
 
何が? って、重心が。
 
誰かに寄りかかって、誰かと寄りかかり合うことで、
立ち続けていくのが通常になってきちゃうと
 
だんだん本来の中心からずれてきちゃう重心。
 
そのうち自分で立つための重心バランスなんて、もうわからなくなってくる。
 
現実では「寄りかかり合って」いるのに、
 
「助け合って、支え合って」という似たような言葉に包まって、使われてる。
 
 
都合よく。
 
誰の都合?
 
*****

寒暖の差が激しさとナメクジ侵襲もあって、小さいけど咲いてくれたラナンキュラス。
 
毎年、Q4第4四半期には 大事なことやイベントが起きます。
 
NZではここ数ヶ月、大きめの子供たちの試験が始まっていて、11月は大切な試験の期間。
その後年明けくらいまでは、結果待ちと進路決定が続く。
 
そう、決断の時
 
春から夏へと向かいながら、家の中をピリピリヒヤヒヤが漂う時期でもあります。
 
その緊張したソワソワを、私はなるべく和ませたくて。
家族がなるべく穏やかでいられるように、
いつにも増して体調を崩さないように気を配る(特に唐辛子)。
 
自分の子たちだけじゃなく、周りの大きめの子供たちや若い人たちにとっても、
新しい道への出発のための「がんばり時」でもあります。
 
***
 
NZ暮らしだからなのかもしれませんが、私の子供たちの、そのまた友人たちは、
うれしいことに私のことを名前で呼んでくれる子が多いです。
 
その中には、誕生以降ずっと呼ばれてきた自分の名前が
「本当の自分(OR 性自認)に合わない」「好きじゃない」という理由で、
自分で自分の名前を決めている子が、複数います。
親しい友人との間で使うために。
 
本当のアイデンティティに向き合って、それを理解してくれる周辺の友人にシェアをする。
自分らしくいられる場を作るために。
 
子供3人のうち、一番上の子の思春期にはそういう子はあまりいなかったんだけど、
だいぶ時代が変化してきたようで。
末っ子の思春期の今では、オープンにできる子が増えてきたのはとっても喜ばしいことです。
 
そんな「自選名」を友人との間で使っている子たちだけど、
自分の親に言えている子は、2人だけ。
 
「ありのままの自分」を、親に理解してもらうのはなかなかハードルが高いようです。
 
この地域では、たいていアジア人移民の親は厳しいのだけど(競争 "or 虚栄心" が激しくて)、NZ人の親の中にも、びっくりするほど頭が固いとか、価値観の違いを受け入れられなくて子供に厳しすぎる親が、珍しくない頻度で存在している。なんだか、頑としてテコでも動かない、ダメだこりゃな感じ。
 
そういう親元から離れたい一心で、周りの若い子たちは一生懸命に猛勉強。
(側から見てて心配になるくらいに)
 
自分らしくいられる場所を求めて。
息苦しい家庭から離れられる「真当な理由」を獲得するために。
 
そんな中、自分の親には、自選名のことを絶対明かさないけれど、
私には打ち明けてくれる子たちがいる。
友達のママである私の前では、素のままでいても大丈夫だから。
 
どこか力が入りすぎているのを感じると、
私は「セクシャリティがどうとかバックグラウンドがどうとか、そういうことであなたのことを見ていないよ。」
「あなたという人」に向かって話しているよ、と直接言う時もあるし、いつも思うのだけど。
本人たちはここまで成長するのに、理解されない壁や逆風に当たってきたことがわかる。
だから、まだ力がこもり過ぎていたってしょうがない。
 
だから私もその子たちと話す時は、本人の希望通りの名前を使い、
その子たちの親と話す時は、元々の本名で会話する。本名と自選別名とを、きっちり混同しないで使い分けて。
 
力がこもり過ぎてたってしょうがないんだけど、小学校に上がる前からずっと知ってる子もいて。
あの無邪気でかわいい子が、それはやり過ぎじゃないかと心配するくらいに力を込めて努力していると、
会えない時でも、ハグして背中をさすってあげたくなる。
 
大人になろうとしているこの若い子たちの
重心が取れてるかどうかを、どうしても見守りたくなってしまう。
 
自分の親が、本当の自分らしさを理解してくれなくても、
分かってくれる大人は案外近くにいるものだよ、大丈夫だよというの知っていてほしい。
(大人だってずっと成長途中だよ)
 
親とぶつかって、夜に突然家を訪ねても、涙の訳を詮索されないでドアを開けてもらえる。
そういう時に、迎えられる場所を持つ大人であり続けたいし、
そういう駆け込める場が、若い人たちにはすごく必要だと思う。
日本なら家を出たかったら一人暮らしが簡単にできるけど、ここではほぼシェアハウスするしかない。
 
それに今ある、人としての権利だって、
いつまでも当たり前のようにあり続けるとは限らない。
アメリカで妊娠中絶の権利があんなにあっさり侵害される州があるように、例をあげればキリがない。
NZに至っても、見過ごすことのできない課題が多いからここでは割愛しておくけれど。
 
当たり前のように息が吸えていると、
きれいな空気のありがたさを、忘れてしまう。
 
 
もっと広い世界を見たくて、巣立っていくのも、
本当の自分らしくいるために、巣立っていくのも、
同じ巣立ち、ではあるんだけど。
 
NZの移民でも、フィリピーノや南アフリカンとか、
親戚で集まってにぎやかにしているのを見ると微笑ましい。
うらやましいな、っていう感情がフェードアウトしていくと、
家族や親戚のいない国に移住してきたことの寂しさが、フワーッと浮かび上がってくる。
 
そういう寂しさがあるからなのかどうかはわからないけど、
自分の子供たちだけじゃなく、周りの若い人たちの成長を見守り続けていることで、
自分の心も満ちるのがわかる。彼らから学ぶこともたくさんあって、楽しい。
 

そんな感じで、わが家にはよく人が来ては、まったりと話し込んでいく。
心の中のこととかを。
なので、もっとくつろぎたい子供たちから、ビーンバッグいいよねと提案が。
(日本ではビーンバッグチェアって呼ぶらしい)
 
中に詰めるビーンが、従来のものだと粒々発泡スチロールみたいなやつなので
もっと他にいいのないかな?と探してたら、
ちょっと高価ではあるけど、長く使えるらしいし、
子供も自分で稼いだお金を出し合うからということで決まりました。
 

つぶつぶビーンは大きめらしいです

 

最初座ってみたら、丈夫の証か思いのほかザザッ!と音がしたけどすぐ慣れた。
本を読むのにも、背中の下側を支えていい感じ。
 

ビーンバッグさん
***
 
昔、お母さんになりたてだった頃、
生まれたばかりの息子を連れて、夫のお母さんに会いにいった。
そのイギリス行きの初めての飛行機の中で。
「緊急用酸素マスクは、最初に親の自分が装着してから、子供に着けましょう。」という
アナウンスを聞いて、
なるほど〜!って、めちゃめちゃ感心したことを度々思い出す。
 
まず、守り支える側の方が、落ち着いて、安定していること。
自分がまず、身体的精神的に健康であること。
 
夫のお母さんはもう天国にいるけれど、
毎朝彼女にも「おはよう」と「いつもありがとう」と語りかけている。
他のご先祖様や魂と一緒に。
私は特に宗教を持たないけれど、敬う心はずっと持っている。
そして、先日の彼女の誕生日には、3つもいいことがあった。
おばあちゃんが家族に持ってきてくれたのがわかったから、みんなでありがとうを伝えた。
私たちを守ってくれていることは、ちゃんと通じている。
 

この時期は、年末に向かっているだけじゃなく学年末でもあり、イベントが多い。
 
ある日の午後には、仮装参加のイベントを次の日に控えた息子が、
外出先から「うちに白い布あるかな?」と連絡してきた。
なんでも周りの人たちから、彼がある映画の主人公に似てるからその仮装してほしいとリクエストがあったらしい。
急な指令に、もうすぐ夕ごはん作る時間なんだけどなと思いつつも、いい感じの白い布は見つかった。
 
さてさて。指定された映画のビジュアルをチェックしてみると、なるほど。
有名シーンの主人公の顔が、息子にそっくりだった。驚き〜こんなに似てるとは。初めて知った。
こんなに細かいポイント、日本人だったらわかるけど、日本人以外でもこんなマニアック目線の人がいるとはね。
簡単に夕ごはん用意(ベジタリアン向け&ノンベジタリアン向け)をすませながら、同時に製作作業の段取りを考えて。さっそく取りかかってみる。明朝までに間に合うかな。

家にあったイエローページが、初めて役に立った
息子が戻ってきた時には、この段階。
本人は白い布だけで使おうと思ってたらしく、びっくりして感心しきり。
いや、だって白いまんまじゃ仮装にならんだろ、息子。
 
こういうのはレイアウトに時間がかかるけど、おしゃべりしながらの塗りは案外早く終わった。家にあるものだけでなんとかなった。油性ペンのにじみ加減がいい感じで。
元々本人は気乗りしてなかった仮装イベントだったけど、当日にはみんなと楽しかったらしくて、よかったよかった 笑

これでわかる人はすごい。
 
それぞれが、成長し高めていくのに、時間をかけて着々と温めてきた。
想いを抱いて羽ばたいていくのを、突破していくのを心に描いて。
 
いよいよだ。 
少し高揚している。
 
みんな、重心取れてるかな。 自分はどうだろう。
 
それぞれが、自分らしくあろうとして、精神的な重心バランスを取ろうとしてる。
そのために、もう必要のないエネルギーを絶とうとしている。
 
「助けて」の言葉に包んで
「支えてもらって当たり前」って寄りかかってくるエネルギーも、もう断ち切らないと。
 
"Taking ONLY" の Takers から、去らないと。
 
そうしないと、本当に大切な人たちを大事にできなくなっちゃうから。
 
もう、さようなら。
 
 
そのうち、このキリッと冷える微かな緊張感が、ゆるんでくる時期になったら、
ずっと作ってみたかった Fufu & Egusi soup に、娘と初挑戦することになっている。
発端は娘だけど、Fufu 、猛烈に作ってみたい。
食べたこともないそれは、今はまだ想像の枠を超えないけどきっとおいしい。
 
小さかった頃からしょっちゅう「ママ見て見て〜」と言っていたけど、
子供は大きくなっても、そこは変わらない。
それはとても恵まれていることだよ、と学校の先生が言う。
はい、そうです、その通り。ありがたいことなのです。
 
育てる、というのはなんとクリエイティブなことなんでしょう。
 
***
 
ここしばらくブログ書いていなくても、どういうわけだか毎日2桁3桁もアクセスがあります。 ゼロ0の日が一日もない。
ロンドン暮らしとかパリ生活とかフィンランドの風景とかじゃないのに。
何故かわからないけど、ありがとうございます。
なので、最近の様子を書こうと思いました。
 

Jewel Orchids 宝石蘭 - Dossinia Marmorata ドッシニア・マルモラータ
ジュエルオーキッド、宝石蘭の、ドッシニア・マルモラータ Dossinia Marmorata。
写真だけだとちゃんと伝わらないかもしれないけど、輝く、という表現だと、
光が強すぎて少し違う。もっと、ぼうっとほわ〜っとした明かり。
葉の表面は、ベルベットのような仄明かり。
なんだか夢の中にいるような。
 

ジュエルオーキッド宝石蘭のみなさん
良質だと言われる、NZの水苔。
たまたまここで普通に入手できるのはこれだけなのでよかった。
とりあえずまだくるんでおいてある、、、植え替えはそのうちに、、、
 
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前回前々回では、マスクなしでの献血でした。
「あなた生きてね」と願いながら採血し、
「誰かを生かしてね」ときれいなプラズマに心で伝えてます。 変かもしれないけど笑
いやホントにね、プラズマってきれいなんだわ。アンバー(琥珀)みたいなの。
それにね、毎回次の日には、もう誰かが使ってくれてるのです。2年も保存できるのに。
不安や嫌な出来事に引きずられやすいこのごろではあるけれど、
自然にステキなものや、感謝ごとに気持ちが向かうのは、
いい状態でいられている証しなのでしょう。
 

最近来ました
さてさて。
日本は観葉植物が豊富に流通していて、植物好きには恵まれている環境だけど、
NZではバラエティが少ないなりに、お気に入りに出会うとめちゃテンションが上がる。
 
素通りしかけた視界にチラッと入ったそれを、私は見逃さなかった。 
え? あなたかっこいいよね? 
トゲ痛いのに、ついお迎えすることにしたサボテン。
名前がわからないので、もし知ってる人がいたらぜひ教えてもらえるとうれしいです。

アンノウンです。
 
そしてこの前は、超久々に、夫婦二人だけの金曜の夜。
声張らなくても会話ができる静けさ。貴重だ。
 
NZといえばワイン。なのかもしれないけど、私があんまり、、、。
美味しいよと友達がくれるワインは、本当においしいことが多いけど。
時々白ワインで頭痛くなるから、ちょっと相性が私とは合いづらいのかもしれない。
 
NZは「クラフトビール」が美味しいんですよね。
好きだから作っちゃった感の、過熱気味な情熱が伝わってきてグッとくる。
Pale Ale、特にIPAの味が好きです。
白ぶどうの種を間違えて噛んじゃったみたいな、あの初めての衝撃は忘れられない。
別に酔っ払いたいわけじゃないので、低やノンアルコールもどんどん作ってほしいなあ。
 
これを読んでくださってる方が、どなたかわからないけれど、
心が倒れないように、
好きなこと、楽しいこと、ステキなこと、熱くなること、
うれしくなること、ときめくこと、
なんでもいいから大切にして、
そこから力をもらって過ごしてくださいね。
 
日本では、今日は「文化の日」ですね。
心が動くことと、溶け込んで豊かな時間を。
 
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ちなみに、夜ごはん食べながら夫婦で聴く音楽はこういうのでした。
いや〜本当にかっこいいよね〜って、音も味わいながら。

Maggot Brain Funkadelic

Bold As Love - Jimi Hendrix