Bittersweet in NZ

ウトです。もっとみんなが暮らしやすい国づくりに参加したくて、NZ労働党メンバー・多文化メンバーをしている普通のお母さんです。*政治を考える=生活基盤をつくること*NZの大学で英語講師をするイギリス人夫を支えながら思うこと * 後半期に入ったNZでの3人の子育て*元日本人雇用主の永住権取得と同時に不当解雇されて闘ったこと*子供の聴覚情報処理障害(APD)の改善チャレンジなど、個人的意見と体験を書いています。(the) MelvinsとSleepとHigh on Fireを聴きながら。

親の死に目には、会えなかった。やっぱり。

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主のいなくなった、サボテン達。
 
 
親と離れて暮らしていると、なかなか親の死に目には会えないらしい。
 
海外暮らしだと、もっとそうなんだろうな。
 
***
 
突然、父はこの世から旅立っていった。
 
11年近くも会えていなかったのに。会わないままで。
 
近所でも人一倍元気そうで、まだまだこれからというのに。
 
死ぬ2日前の電話では、いつも通り元気に笑い合ったのに。
 
本人もまさかこんなにあっけなく逝くとは、思わなかったのだろう。
終活なんて全然してないで、放ったらかしで。
 
職人の父のモノと道具が、家中所狭しとあふれ
家の外にまでこれ見よがしに、牛耳っている。
 
俺は、ここに居たんだ。
 
「片付けできないから、あと頼むよ。」と言ってるのだ。きっと。
これまでのように、私ならなんとかしてくれると勝手に期待して。
 
悲しむ余裕もないほどの後始末に、追われる。
悲しまないよう、山のように後始末を残していったのは
父ちゃんの優しさ?
 
主のいない、息苦しくてめまいがするほどに魔境化した「俺の城」を
一人黙々と、呼吸ができるように片付けていくのは
 
家族の中で、一番の適任者の娘である私にとっても
突然の別れを消化していくのに、必要なプロセスとなった。
 
毎日を共に過ごしていたからこそ、気づけなかった母のためにも
いろんな小さなことでも、気づきやすい私が引き受けた。
 
この頃は、こんな風に動けて整理ができてた。
この頃には、こんな風に動けなくなって、整理もできなかった。
 
もどかしいさ、あきらめ、怒り、悔しさ、思いやり、希望。
 
本人はいないのに、うずまく感情の中で
黙々と作業をする。
 
頑固で人に弱々しいところを、見せるのが大嫌いな父は
どうしようもなく弱くなる前に、人生を終えた。
 
あっけなく幕を引いたけれど、父ちゃんらしい。
 
人にも立派だった、うらやましい死に方だったと言われるから
エンドレスのような片付けに
うんざりしながらも、少しづつ現実を受け入れてきている。
 
会えなくて寂しかったのは、よくわかっていたよ。
 
小さかった孫達とは過ごせたし、
その孫達はそれぞれ夢を持って、未来に向かって生きている。
 
父にとっては、それが大きな希望で
何よりも楽しみなことだった。
 
自分の思いが、孫の世代にも伝わっていくことを
確かに噛みしめて
最後まで生きることはできたのだから、よかった。
と、思うことにしよう。
 
 
それにしても、およそ11年ぶりの日本はすごい違和感….
 
実家も自分が育ったとこなのに、すごく変な感じ。
 
久しぶりすぎて慣れない感覚が、落ち着かないけど。
 
強烈な浦島太郎体験は
 
なんだかおもしろい。
 
 
「俺が死ななきゃ、〇〇は帰って来ねえんだよ!」って
 
言ってるよね、きっと。
 
 
ごめんね、父ちゃん。
 
 
もう体なくなったから、いつでもニュージーランドに飛んできてね。