Bittersweet in NZ

ウトです。(the) Melvins を聴きながら。NZの大学のイギリス人英語講師の奥さん目線 & NZ移住して3人の子育て後半戦に挑む奮闘記 & NZで元日本人雇用主の永住権取得と同時に不当解雇された体験記、息子のAPD(聴覚情報処理障害)との奮闘レポートなどなど。

大学。合格したのに、不合格。(高校のミスのおかげで)

 

このブログのタイトル「Bittersweet in NZ」の
 
一番、Bitterだったこと。
 
これまでのニュージーランド生活の中で
 
一番、苦々しくて
 
悔しかったこと。
 

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それは4年前に起きた。
 
長男は大学合格しているのに、
 
高校の不注意によるミスのせいで、不合格にされた。
 
 
 
高校のミスの結果、志望大学の学部には入ることはできず
 
別の学部で1年間、学ぶことを余儀なくされた。
 
ニュージーランドでは多くの大学生が、国から学生ローンを借りて勉強する。
 
 
***
 
ニュージーランドでは、高校卒業すれば大学入学資格があるわけではなく
NCEAという国内資格の資格レベルを取得しなければなりません。
 
NCEA レベル1(Year 11、日本の高校1年生にあたる)
NCEA レベル2(Year 12、高校2年生)
NCEA レベル3(Year 13、高校3年生)
 
大学入学資格を取得するには
レベル3までのクレジット(単位)を取得して、
入学条件をクリアする必要があります。
 
うちの子たちの高校では、
「入学条件は最低条件であって、入学のためには大幅に条件を超えてクレジットを取得するように」と指導されます。
 
クレジットを取得するための学校内の課題やテスト(Internal)は、
それぞれの学年の新学期開始(たいてい2月)から、1ヶ月もしないうちに
次々と始まり
 
11月の国内統一試験(External)まで、
多くの生徒は、なるべく高いクレジットを取るために勉強しています。
当然のことながら一般的に、統一試験の方が厳しいです。
 
Achieved=可
Merit=良
Excellence=優
 
Not Achieved=不可
 
 
息子もよく言ってました。
「Achievedは、Not Achievedと同じだから取っても意味がない。
Merit以上取らないと。」
 
 
長男のように理系の生徒の多くは、
Year 12で、英語の入学資格条件をパスして
 
Year 13には、志望学科入学のために
理系の教科のクレジット取得に集中します。
 
長男も11月の統一試験を終え、
本人も親も胃がキリキリする思いで、12月に出る結果を待っていました。
 
 
そして12月中旬。
 
志望大学からの通達は
 
「大学入学資格を満たしていないので、不合格」
 
崖から突き落とされた。
 
 
 
「大学入学資格を満たしていない」ってどういうこと?
 
高校では、「大学入学資格あり」の確認済みだったのに?
 
 
大学の説明によると、
 
Year 12の時に取得した、レベル2の英語の試験問題は
次の年のYear 13で
NZQA(国立資格審査局)によって、
レベル3の試験問題として扱うことに変更されたので
 
息子さんの英語レベル2は、取得していないと認定される、との事。
 
 
意味分かりますか?
 
長男は、Year 12の時に大学入学資格のレベル2はクリアしているんですね。
 
でもYear 13になったら、
長男の合格した英語の試験問題のうちの1つを
NZQAが「レベル3の試験問題」として、変更。
 
その変更通達を受けて、各大学も変更し
各高校も当然変更して、進学指導していくわけです。
 
ところが、長男の高校は変更するのを忘れて
本来なら、別のレベル2の英語問題を受けさせるはずなのに
Year 13の1年間、英語はほったらかしのまま「大学入学資格あり」として
何も指導してこなかったのです。
 
長男は、英語レベル3はあるんです。レベル2がない。
 
だから志望大学の学科どころか、どこの大学の入学資格もないんです。
 
これこそ、まさしくニュージーランド!
 
大丈夫、って言われても、大丈夫じゃない。
 
努力しても、お金払ってても、確認し続けても
「まちがえた、忘れた」で
あっさり台無しにされる国、ニュージーランド。
 
これは、長男だけではなく
他の理系の生徒たちも、該当しました。
 
大学とNZQAに問い合わせでは
これは明らかに
高校の責任だから、一刻も早く高校と連絡取るように。
それまでは、不合格の決定を変えることはできない、と。
 
ところで、ニュージーランドのクリスマス休暇って知ってますか?
なーんにも動かない。
 
この時、12月中旬。
もう高校は、クリスマス休暇に入ってた。
 
NZQAも大学も、対応してるのに
間違った当の高校は、クリスマスホリデー。
 
何回電話しても誰も出ないし、
校長や先生たちに、何度もメールしても、ホリデー中だから返事がない。
 
何回長男と学校に入って、誰か先生いないか探し回っても、用務員しかいない。
 
1週間。毎日、何の返事もないまま、あちこち手を打つ日々。
 
希望の学部は、非常に人気があって競争率も高い。
 
 
「ダメだったら、もう俺、イギリスか日本か、放浪の旅に出たい。」
 
本当に、長男は憔悴しきっていました。
 
私も夫も、長男の努力をよく知っているから
3人とも、食べ物が喉を通らない日々でした。
 
 
NZに移住してきた時、長男は12歳。
 
日本では、公立小学校で日本語中心だったから
英語を本格的に身につけるのは、NZの中学に入ってからでした。
 
3人の子供の中では、大学までの英語習得の期間が7年と
一番短いから、一番苦労したはずです。
 
いざ中学に入ると、本人の英語も全然おぼつかないのに
同時期に移住してきた生徒のサポートを
先生からお願いされるようになりました。
話が通じる人が、長男しかいなかったのだそうです。
 
もちろん困っているのだから、助けるのは当然です。
でも、担任だけでなく他の先生からも、その生徒に話すことがあるたびに
授業やテスト中、体育であっても、長男が呼び出されていました。
中学1年の時は、毎日。
2年になると、3日おきくらいに。
 
長男の授業やテストが、毎日しょっちゅう中断されるので
もちろん担任に、親として改善を求めましたが
長男の代わりができる先生やスタッフがいなかったので
担任もとても困っているのは、親子共にわかっていました。
なので中学2年間、そういう日々は続きました。
 
それから。
中学に入ってからすぐに、
日本政府の「捕鯨」のニュースが大きく伝わって
NZに来て早々に「残酷日本人」のレッテルを貼られて
さんざん嫌味も言われたそうです。
 
だから、「日本人がみんな、捕鯨に賛成しているわけではない」と 
わかってもらうために、つたない英語で初めて発表するスピーチの
練習もがんばっていたということもありました。
夫不在なので、私が遅くまで付き合いました。
日本の捕鯨のせいで、海外在住の日本の子供たちが
嫌がらせや、精神的身体的の暴力の標的になることを
捕鯨推進派は、なんとも思っていないでしょう。
 
そういうこともあってか、中学入学してすぐから
長男は、毎日の宿題はESOL用じゃなく、他の生徒と同じものを出してほしいと
担任にお願いしたそうで、毎日遅くまで勉強していました。
そのおかげで、ESOLのクラスも1年だけで終わり
2年目の英語の授業は、ネイティブの子たちと一緒に受けるようになりました。
 
さらに。
中学生2年間、同じクラスには他に
アスペルガーのある友達がいて、仲良くしていたのですが
放課後になると、その友達自身からでなく
そのお母さんから、長男のスマホに「遊びに来てほしい」と
週に何度も連絡がくるようになりました。
その子は長男といると穏やかになるので、とそのお母さんは言っていましたが
本人からは連絡が来ないのに、お母さんから来るのはいき過ぎだと思ったので
それを拒否し続けるのも負担だったはずです。
 
高校に入ってからも、進みたい方向は本人の中では決まっていたみたいですが
日本の教育と比べて、NZの教育が自画自賛するほどいいわけじゃないっていうのが
日本の友人たちの学校生活と比べるから、わかってきて。
何でこんなクソなところ連れてきたんだ!とよくぶつかってきました。
 
その度に、
ボーダーを越えられる人になるためだよ、
これからの世の中には、それができる人がもっと必要なんだよ、と
何度も何度も伝えてきました(今ではそれをわかってくれている様子)。
 
長男の言うことはもっともで、
中学のパンフレットには「充実した科学の授業」ってあったのに
科学の授業なんて、数回しかなかったんですよね。
あんまりひどいので、校長にどういうことですか?と聞きに行ったら
教えられる先生がいないって嘆いてました。
ホントにお粗末でした。
でんじろう先生みたいな担任の先生がいた、日本の小学校と比べて。
 
親の方でも、宣伝とは違って、
教育者として内部から見えること山ほど出てきてしまっていたし
 
長男の苛立ちも、
イギリスと日本のどちらか一方でない
混ざっている自分に、葛藤していた時期もあったので
 
それを乗り越えての、大学進学でした。
 
 
「不合格」の通達から1週間。
やっと、高校の受付係に電話がつながりましたが、無情にも
 
「今日、先生は誰もいませんよ。」
 
それでも、長男と夫と3人で直接学校へ。
 
長男が「こっち」と裏から入ったので、ついて行くと
女の先生がいたので(!!!!!)
 
夫が急いで事情説明しようとすると、
 
先生の方が
「理系の入学資格のことですね?」と事情をわかっていて
緊急事態だったみたいで。
 
急いで進路担当者の部屋に、連れていかれました。
 
途中で、さっき「今日対応できる先生はいない」と私に電話で言った
受付係がいたので、首絞めたくなる感情を抑えながらも
 
進路担当者の部屋について、外で待たされました。
 
部屋には、別の生徒の家族がいて
ドアが少し開いた時に
中に、長男が理系のクラスメイトの後ろ姿を見つけました。
 
号泣するその子のお母さんの、大波のような鳴き声が
部屋の外に響いていました。
 
その泣き声を聞きながら、
やっぱり大変なことだったんだと思い知りました。
 
高校の犯したミスの被害者は、うちの子1人だけじゃなかった。
 
私たちの番になって、進路担当の先生が
急いでNZQAの担当者と連絡を取り、
 
レベル3の資格を、レベル2の資格として認定するよう
高校から正式に要請し、しばらくしてNZQAに認可されました。
 
そして、大学からは入学許可がすぐ下りました。
 
高校に、クレジットをカウントするスタッフはいるんだけど
間違えたのは、この人たちだそう。
 
だけど、思っていた通り
大人気で競争率の激しい、希望の学科は
1週間の入学の遅れで、定員を超えてしまったので入ることはできませんでした。
 
入学申請が1週間遅れたのは
高校のミスであっても、大学のミスではないので
決定は変わりません。
入れないものは、入れない。
 
そのため、1年後に志望学科に編入できる可能性がある、
別の学科に入りました。
 
長男と同い目にあった理系の生徒が何人もいて、ニュースにもなっていました。
その生徒たちも、長男と同じ道を選びました。
 
でも入ってから、別学科から志望学科に編入できるのは、ごく僅かのみで
非常に厳しいということがわかりました。
 
後にもこの大学は、医学学生を後々少数しか残せないのに、
多数受けつけているという話でした。
あちこちで「ファクトリー」と言われる所以です。
あまりにも競争率が激しいので、この学校に居続けるために
友人たちは、やりたかったことを諦めて別の学科に移っていきました。
 
友人たちは、長男にも他の学科へ移ろうと誘いましたが
長男は、自分の進みたい道を曲げませんでした。
 
それでもこの大学の勉強環境が、
自主勉強に座る場所がなくて地べたに座って
課題を書かないといけないような勉強環境が、好きになれなかったそうで
この1年で単位を増やし、別の大学の志望学科に
次の年、編入しました。
 
長男は、長くても自分のやりたいことを学び続ける道を、選びました。
 
 
***
 
 
NZQAの変更に対応しなかった高校側は、
NZQAと大学は責任は高校側にあると指摘したのに、
高校は、審査基準を変えるNZQAに問題があるとして
一切非として認めなかったし
 
私たちに謝罪も一切なかったので、夫が意見書を提出しました。
 
夫が書いたその意見書を、高校の当時の校長は文面を間違えて解釈して
私たち家族に、謝罪どころか、失礼極まりない無礼な返事を送ってきました。
 
アカデミック英語の専門家の書く文書を、
オセアニア最大の有名校の有名校長であっても、解釈を誤るのです。
間違いを認めない。謝らない。
 
私たちは、こういう間違いは今後起こらないように
学校の体制を改良してほしいと、正式に文書にしただけだったのに。
行き届いた良いシステム作りは、簡単にはいかないものです。
 
 
それでも、あれから4年。
 
今度は、次男の進路の心配をする番。
 
長男の時と違って、高校のIT化が進んでいるので
連絡システムはよくなってきているし、
コミュニケーションを取ろうとする先生たちの姿勢も変わってきています。
 
次男は、去年APD(聴覚情報処理障害)があることがわかってから
専門家と先生たちと親によるサポート体制を作って
脳トレーニングで、障害を改善するプログラムを実行しています。
 
長男の時には、ひどい目に遭わされた高校だけど
次男のために、私は学校に頭を下げてサポート体制を作りました。
他に困っている生徒たちが、後からついてこれるように成功例を作るため。
 
障害がわかった時、専門機関には次男のための有効な解決策がありませんでした。
だから私はこの体制作りのために、政治家にまで話をしに行ったのです。
 

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移住してすぐに、担任と校長から
学校現場だけの努力ではどうにもならないと、グチと悩みを聞かされ
当時の国民党政権は、教育費削減していったので
上からシステムを変えないと駄目だと、移住当初から思っていました。
 
高校とは、一時対立したこともあったけど
現在は、多くの協力を得ているので、ありがたいです。
あそこのオカンは黙ってないから気をつけよう、と
思われてるからかもしれないけど(笑)
 
高校の授業中に行われる脳トレーニングは、今年いっぱい続けられて
来年以降は、進学先で続きます。
だから障害を改善するためには、次男は進学しないといけない(笑)ガンバレ!
 
脳トレーニングの成果か
次男もまた、自分の可能性を信じて
 
長く学んでいく道に、挑戦するのだそうです。
 
***
 
一番、Bitterだった事。
 
これまでのニュージーランド生活の中で
 
一番、苦々しく
 
悔しかった出来事。
 
 
それは、私の受けた不当解雇、ではなくて。
 
 
 
子供の努力と一心さが、
「無能」のせいで
 
いとも簡単に
ポキっと折られるのが、許せなかった。
 
自分より、自分の大切な人が傷つくほうが
 
ずっとつらい。
 
 
移住1年目は、夫が仕事で日本によく戻っていたから
 
困って大変な時に限って夫がいなくて、相談できる日本人もいなくて
1人であちこち幼稚園・小学校・中学校をかけずり回っていました。
 
日本から送った家族愛用のダイニングテーブルは、輸送中真っ二つに壊れて
小学校からタダでもらった古い机と
持ってきた衣装ケースを積み上げた間に
板をのせて、テーブルにしていた。
 
お父さんいなくて大変だった時も、
気負わないように、さみしくないように
極スローなネット環境で、しんちゃんやドラえもんが
ゲラゲラ笑わせてくれてた。
日本での、いつもの金曜の夜みたく。
 
 
あれから10年。
 
 
兄ちゃん2人に続いて、
 
末娘も
目標持って、長く学び続ける道を選んだ。
 
 
はぁ….  仕送りがんばらなくちゃ....