「気持ち悪い」って。
お知らせが届きました。
気持ち悪いって、
私のことじゃなくてね笑
*
ニュージーランドで、過去に他人を利用して欺いていた人が、
スピリチュアルかメンタルケアのようなのを、発信しているのを目にしたそうです。
人をだまして利用して苦しめていた集団にいて関わっていた人が、
その本当の姿を隠して、まるで善人のように
精神や心の大切さを語っているのを、目にして。
そういう絵空事や胡散臭さに出くわしてしまうと、
傷ついて苦しんだ人は、また疼いてしまうのでしょう。
時を経て消えたと思っていた傷や痛みが。
今は、世の中に言葉がたくさんあふれているから
それらしい言葉をつなげれば、それっぽく崇高な感じで伝えられるのかもしれない。
スピリチュアルもメンタルも、目に見えないしね。
いや、待てよ?
「魂」も「心」も、人にはみんなあるから、向き合って語っていいんだよな。
爪のことを、爪スペシャリストだけじゃなく、
みんなが「私のつめ」を話題にしていいように。
でも、本当の心の大切さがわかっていれば、
自分達が深く傷つけ利用してきた人達の怒りが、
どれだけ再燃してくるものなのかも、わかっててもいいのに。
自分達が人にやってきたことが、未だによく把握できてないのかもしれない。
自覚がない。
?
ニュージーランドの日本人移民社会の中で、
長い年月の間、存在し続けてきた「日本人同士を騙して利用する悪習」が、
少しづつ明らかになってきていることで(注:まだ全容解明はしていない)
「日本人同士だから、安心」という謳い文句が、そうとも限らないし
「日本人同士だから、信用できる」は幻想の場合が多々あることも、表面化してきた。
元々、人への信頼に出身国が同じかどうかが、それほどまでに重要なのか
すごく疑問に思っています。
大体、自分の人生の伴侶に選択したのは「別人種」だし。
*
もちろん、人それぞれで自由なんですけどね。
こういう不安定な世の中ではあるから、
何かに傾倒したくなる気持ちも、わからなくはないです。
本当は他人を騙したり利用することを平気でできる人が、
本来の姿を隠して、うわべを善人のように装い、
まき散らしていく「うわべだけは心地よい言葉」。
そういうものを受け取って、傾倒しなくても、
本当は、自分で前向いて歩いていけるんじゃないでしょうか?
過去に何度も崩れた崖の下を、危険なのにどうしてわざわざ、まだ通ろうとするのでしょう?
崩れた崖の部分だけが、危ないのではありません。
その周りの土砂が崩れてきても、おかしくないのです。
あなたの頭上に岩が落ちて、直撃するかもしれないのです。
悪い人の周りにも、それを支える濃いグレーの人がいる。
サポートするふりして詐取する側に深く関係してたし
こういうことしていたのはイーストウィンド だけじゃなかった。
亡くなったイーストウィンド社長は、
無許可の投資話やNZ移住を持ちかける時に、言っていたそうです。
「こういうことは、自分達だけでは、とてもできないんですよ。 協力関係の組織がなければできない。」と。
騙す側の人達は、とても優しくていい人達だったそうです。
そりゃそうです。大金を稼げるんですから。
いい人達だと思っていたのに、実は騙されていたことを知った時、
ものすごくショックを受けていた利用者が多くいました。
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何度言っても間違いが起きちゃうから、繰り返します。
自分達の都合のためだけに、 他人を騙すことが平気で出来る人達が
今現在も、あたかも善人になったように 暮らし続けています。
投資やビジネスビザや永住ビザ取得にまつわる「後ろめたさ」のせいか、
知っていても黙っていたり、隠し続けてなかったことにしようとしている人が大半です。
自分が苦しんだのに、
誰かがいつか苦しむようになることを止めようとは、なかなか行動しないのです。
隠し続けていけば「なかったことになるかもしれない」と切願しているかのように。
海外生活にも、ドロドロと濁った色と、澄み切った自然色が存在しているのに
無理にバラ色にしようとしているような感じ。
それが大多数な現実の中で、
自分の持つ、痛みや疼きや「やるせなさ」に向き合って、
伝えようとすることには勇気がいります。
そういう、痛みを知っていたり「人としての情を持つ人達」が、
察知して感じて、私に伝えてくれた「気持ち悪さ」の意味を言葉にしてみると
「同じ轍を踏まないでほしい」
ってことを、伝えたいんじゃないかなと思うんです。
同じことが起きてほしくなんですよ、もうこれ以上。
それで、どうにもこうにも「気持ち悪い」。
虫唾が走るくらいに感じてるかもしれない、騙された人達は。
隠してる本当の姿はそうじゃないでしょう?って。
直接被害にあってない私でも、平然と暮らしてる人が、他の多くの日本人を騙して損害を与えた集団にどうやって関わっていたかを、持ってるから知ってるので、その気持ち悪がってる感じが伝わってくるんですよね。私巫女かな?っていうくらいに。
被害にあってなくても
「(罪に償ってなくて)のうのうと暮らしているのが、どうにもこうにもやるせない。」とか
「日本に帰りたい。こんなNZ(日本人移民社会)には暮らしていたくない。」
っていう声も、私には届いている。
もう本当に繰り返してほしくないです。
もう終わりにしようよ、こういうの。
「目を覚まして」って言葉をかけても、
実際に目を覚ます選択をするのは、受け取った人それぞれの意志なんです。
わざわざ心の目を、無理にこじ開けにいくことはできない。
「気持ち悪い」っていうのは
「気づいて!」っていう、貴重なメッセージだったのです。
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こういう風に発信しているけど、人を集めたいとか導きたいとかじゃなくて。
(それよりも自分は、大切な人達を大事にすることや自分を信じてくれる人達に、力や時間や真心を注ぎたい)
ただ、
一昔前のように、頼るところをそんなに求めなくても、
これからは、それぞれがもっと自分で考えて判断して進んでいけるはずですよ、
きっとできますよって伝えたいのです。
そうでないと、また似たようなことが起きるんです。
痛い目に合ってやっと「他人事」は、実は自分にも関係大アリだったっていうのを痛感する。
でもそこで受ける痛みは、想像以上に苦しいかもしれませんよ?
今もまだ(時々)しんどい人達みたいに。
***
それからSerious Fraud Office (SFO 重大詐欺捜査局)から
捜査協力依頼の連絡が来ていたけど、
本当に捜査局からの連絡かどうかが不安な人は、
こちらにメールを送って、返事がこの正規のメールアドレス
eastwind@sfo.govt.nzから来ているかどうかを、
確認するといいですよ。
そして、私だったらすべての連絡事項や記録文書のやり取りを残しておきます。
通報漏れがないように、できるだけ多くの情報を提供しましょう。
日本語の方がいい人は、日本語でも大丈夫。
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心や精神や魂の話は、誰でもしていいんだから、もっと解き放ったらいいんですよ。
つらい苦しい憎いも、ちゃんと。
子供にだって「どこがどう痛いのか、ちゃんと言ってごらん?」って言うでしょ。
大人ができなくてどうするの?
ちゃんと人に言って
それでやっと、手当てしたり撫でたり「痛いの痛いの飛んでけ〜」ができる。
「利用されて許せない」とか「騙しやってこの野郎金返せ」とか
負の感情があるのに、許しましょう・忘れましょうとか、
不自然にキレイ事言ってるから
人を踏みにじったり利用したり騙したりが、延々と許される世の中になっちゃう。
変えようとしないといつまで経っても、変わらない。やることは、やらないと。
嫌だな〜って思ってるだけでも変わらないの。
そこでずっと、一度きりの大事な人生を過ごす。
被害にあってなくても、嫌な思いしてる。
誰なら信じられるのか、わからないから。
これってもう、個人と個人の間の感情のもつれレベルじゃないんです。
コミュニティ社会とか社会環境とか、もっと大きい話なの。
傷ついた人達、いい子過ぎじゃないですか? よく爆発しないよなあ。
痛い苦しいしんどい、をちゃんと自分の外に出したら
好きなことやモノや人で、自分を癒して満たしていったらいい。
コーヒー美味しいな、とか。
*
今回は(も)感じたことをシェアしてくれた方、ありがとうございます。
そして今回私はこんな風にキャッチしましたが、どうでしょう?
後でご本人に聞いてみます:)
***
こういうの聴きながら書いてました。
心の平穏だったらこっちかもしれないけど、
こういう気分で、 今日も穏やかで、ピースフルでした。
High On Fire - Into the Crypts of Rays (from EP “Bat Salad”)
Kyuss- Blues For The Red Sun
Melvins- Night Goat (European Tour 2009)