Bittersweet in NZ

こんにちは、ウトです。家族とNZで暮らしています。移住して10年近くは、多くの怒りやフラストレーションを感じていましたが、おかげで行動・経験・学びができて、最近はおだやかな日々がとても増えています。いろんな変化の流れが強いので、大切なのは何か?ということにも向き合っていたい。ここには、体験や感じたことを言葉にしておきたくなった時に綴っています。 Thanks for being here.

流産した時のこと。

わが家には、幸運なことに子供が3人がいます。


でも、長男の後に2回、流産をしました。


流産のことを産まれるまで育たなかったのだから
仕方ない、と思える人と
ものすごく悲しむ人がいますね。

私は、後者の方でした。

 

最初の流産では、ちゃんと人の形をしていて

超音波検査での写真では、横顔がきれいで。

前回の検査では、ちゃんと心臓もパコパコ動いていて。

でもその日の検査では、心臓が止まってて。


先生が言うには

このままにしておくと、母体が死亡した胎児を外に出そうとして

大出血して母体が大変なことになるから、

急いで胎児を出す処置をしないといけないそうで。

 

悲しみに打ちひしがれた私は、心ここに在らずのまま

数日後の予約を入れて、当時2歳だった息子の手を握って、

産院からの帰り、

荻窪の道を、バス停に向かって歩いて行きました。

あの時の、2歳の息子のかわいい手は今でも覚えている。

 


悲しくて悲しくて。

死んでしまいたいと言うわけではないけれど

赤ちゃんを出さないでおいて、体が拒絶反応して大変なことになっても

それはそれでいいんじゃないか?

ママがわざわざ、出さなくてもいいんじゃないか?

 

それでも、2歳のかわいい息子の手を握っていたので、

この子のために(ごめん、夫のためというよりも….)

後日、処置をしに産院へ行きました。

 

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             [The Kiss- Gustav Klimt]

 

麻酔から醒める時、クリムトの黄金の光の中を

ものすごい勢いで上へ高く高く昇って行き、

心配することはなにもないなんとも言えない恍惚感で満ちていた。


昇りつめると、母乳がたくさんシューシュー吹き出して

大変だ、拭かなくちゃと思ったら、目が覚めた。

 

本当に母乳が吹き出た感触が、

乳房が熱っぽくて、服も濡れている感触があるのに、

それは夢だったのか、目が覚めたら

処置が終わってた現実に引き戻されて

とたんに猛烈に悲しみが襲ってきて、怖かった。

 

もう赤ちゃんは、いないんだ…


あれは母が、私が10歳になる前
妹の出産時に、大量出血して心臓が止まってしまい、
妹も子宮の血の中を溺れて大変なことがあって、

その時、お花畑にいてすごく気持ちのいいところだったのに、
目が覚めたら家族は誰もいなくて
ひとりぼっちですごく怖かったと、元看護師の母が言ってたのと

同じ感じだったんじゃないかと、思う。

 

流産した子は育たなかった胎児だから、仕方がないと

産院でも、いろんな人にも言われて、

頭ではわかっているんだけど、

心が納得してくれなくて。

 

息子がいるから笑っていてあげたいんだけど

数ヶ月は外にも出たくなくて、泣いてばかりいたし

泣かないでも、話せるようになったのは、何年も後のこと。


しかも、気をつけていたから続かないだろうと思ってたのに
2回目の流産もした。

 

妊娠すると体が母乳を作る準備もするから、
流産をしても乳房の手入れをしたほうがいい、というようなことを
長男の母乳育児でお世話になった桶谷式の本に書いてあったので、

 

流産後2回とも
お世話になったY先生を訪ね、号泣しながら報告をした。

 

Y先生も涙をためながら、
今度の赤ちゃんにいいお乳が出せるように手技をしてくれた。

 

おかげで乳房にシクシクするような、
小さなガスみたいなのが、スッととれた。

 

 

それから不育症じゃないかと、悩み始めて、

欲しい欲しいと願いが強すぎると、
なかなかできづらいことがわかって、考えないようにしていたら
次男をを授かった。

やっと生まれた2人目は、体重計の台から体がはみ出るほど
元気な背の高い巨大児だった。

 

 

子供が3人になっても、

あの時無理してたんじゃないか、動き過ぎてたんじゃないかと
時々、むくむくと後悔が湧き上がってきてた。


そうしたら、ある人の
「流産した子を思い出して悲しまなくても、家族だんらんで楽しい時を生まれてこられなかった子も一緒に楽しく過ごしたらいい」っていう言葉に
すごく楽になった。

 

みんなでワイワイガヤガヤにぎやかな時に、

あっちにいる子達も一緒に楽しんで、

みんなの成長を見守ってもらっている感じがしている。

 

それに、子供が3人そろっている時に、
あと2人生まれてこられなかったきょうだいがいるから、
その子達の分もみんな大切に生きるようにねと、言ってあります。

 

みんながわかる時期に伝えたから、ちゃんと分かってると思う。

 

5人きょうだいだったらもっと楽しかったのに、と
あの子達は、小さい頃言っていた。

 


3人きょうだいでよかったな、と思うのは、

家族の大切な意識を、お互いが諌めるように

共有感覚として保とうとすることだ。

大切なことだから、茶化したらいけないよね。


下の子がわからなかったら、上の子が真面目に説明するし、

その逆もある。

 

 

長男が10代の終わりころ、リビングで長男と2人の時に

静かに話をした。

 

流産をした時のこと。

 

昔何度か話した時は、よく本気で悔しがっていたね。

 

母体が危険でも処置をしたくないと思っていたけど
赤ちゃんを出さないとママの命が大変になるかもしれなくて、

 

もみじよりはもうちょっと、力強いキミの2歳の握る手があったから、

ママは大変なことにならなかったんだよ、

 

あなたは命の恩人なんだよ。

 

だから、ありがとうね。と伝えた。

 

ちゃんと感謝していることを知っていてほしかったから。

 

 

「おれ、覚えてないし、たぶん手握ってただけだし。」と

うつむきながら長男はおだやかに口にしたけど。


でも、手を握ってただけでも、

キミにはとてつもなくパワーがあって、

お母さんを生かしてくれたのよ、と


ちゃんとありがとうを、言っておきたかったの。


ママは、今でも子供達の可能性を未来の道につなげようと奔走しているけど、

 

一番のお願いは

「ママより先に、あっちに逝かないで。」っていうことに尽きる。

 

 

死にたい、とか

殺してしまったりとか、

日本でも世界でも、後を絶たない。

 

夫のところにも、

「きえてしまいたい」と打ち明けるしんどい人が。


私達は、真剣に考える。

 

いや、やっぱり、せっかくこれからがあるんだから

きえたら、いやだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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