Bittersweet in NZ

ウトです。NZでもっとみんなに暮らしやすい環境のための社会改革に協力したくてNZ労働党メンバー・多文化メンバーをしている普通のお母さんです。*政治を考える=生活基盤をつくること*NZ高等教育機関でイギリス人英語講師をする夫を支えながら思うこと * 後半期に入ったNZでの3人の子育て*元日本人雇用主の永住権取得と同時に不当解雇されて闘ったこと*子供の聴覚情報処理障害(APD)の改善チャレンジなど、個人的な意見と体験を書いています。(the) Melvins を聴きながら。

ターニングポイント。

 
いつも鍛えてて、元気だった。
 
と思っていたガンコな父が、突然逝ってしまったために
11年近くぶりに帰った日本。
 
父は、同い年のスーパーボランティア、尾畠さんのように
まだまだ活躍できるような人、のはずだった。
 
終活をしていなかった父の膨大な後片付けがあるし、突然残された母のことが心配で
ママは家族をNZに置いて、ひと月半日本にいることにした。
 

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父が孫達をよく連れていったお寺。
 
その間に
初めての孫である私達の長男が生まれてから
何度も孫達を連れて、にぎやかにお参りに行ったお寺を
今回初めて、一人で散策。
 
静かだった。
 
父の体はもうないのに
ここに、父の姿をもう見ることがないという事実が
何だか受け入れられなかった。
 
何回もみんなで来た時と、一人歩く今が重なって
あれ、夢かな?と思ったりして。
 
違うんだけど。
 
 
「ごめんね。あんまり突然で。あんたが帰ってくるまで父ちゃん、
長生きさせられなかった。」
 
子育てや生活に追われて、一度も帰国する余裕がなかった私に
電話口でも実家に帰ってからも、そう謝り続ける母。
 
「お母ちゃんのせいじゃないよ。」と説得してわかってもらうのが
お姉ちゃんの最初の役目となった。
 
 
<自宅で亡くなる、ということ。>
 
「あの日に限って、なんで寝過ごしたんだろう。」
 
いつも超早起きの母が
その日の朝は
たまたま、遅く起きた。
 
父の骨の手術の準備のための病院通いで
母はくたびれていた。
 
前の晩には、いつものように薄いお湯割りで晩酌をし
いつものようにお風呂に入る、父。
 
昔は、お風呂が先で晩酌は後だったのに
いつの間にか変わってしまったらしい。
それを注意したところで、一切聞くわけもない父なのだけど。
 
「お風呂沸かそうか?」と言う母に
「いや、自分でやるからいいよ。」と返した父。
 
それが、最後の姿になった。
 
たまたま母が長寝した次の朝に、父はもう帰らぬ人になっていた。
 
たった2日前。
決して難しくない手術だけど、NZから電話で励ます私に
「手術が終わったら連絡するから。」と
いつものように、前向きで元気な声を聞いたばかりだったのに。
 
父は「自分はこうやって死ぬ」ということを伝えていたのは
家族の中で、どうやら私にだけだったらしい。
 
だからその通りに本当に死んじゃったから、仰天した。
しかも、こんなにも早く。
周りの誰もが、しぶとくあと10年20年
生きるに違いないと思っていたのに。
 
当日も、長年の日課の筋トレをちゃんとしていた。
 
自分がつらい姿を見せるのをすごく嫌う人だったので、
父らしい最期といえばそうなのかもしれない。
 
 
母は、驚きとショックで呆然としているのに
自宅で人が亡くなったということで、
検視やら何人もの警官からの質問責めに、対応しなければならなかった。
 
昔は石原裕次郎ばりで、プライドの高い夫の
変わり果てた最後の姿。
寒いだろうからと、毛布をかけてあげることも
さすってあげることもできなかったそう。
それが母には、すごく応えた。
 
父の最期は、多くの人から
「ピンピンコロリ」で理想的な死に方だと言われた。
 
でも残された母には、元看護婦であっても
あの夫の最後の姿は、相当やりきれないものだったらしい。
 
「庭の竹林を眺めながら、迎える穏やかな死」を願っていた母は
家で死ぬのはイヤ、危なくなったら病院に入れて逝かせて、と言うようになった。
 
 
<尊厳死の法制化の動き>
 
葬儀や後始末、手続きに追われていると
ありがたいことに、たくさんのご近所さんが声をかけてくれた。
 
その中で
『尊厳死宣言をする人が増えている』から私もするわ。」と言う声がいくつかあった。
自民党が終末期医療のあり方に関する新法制定を
検討するというニュースもあった。
 
連れ合いが亡くなるのは悲しいことだけど、70代80代にもなると
生きている人間の「これから」を考えるほうが大事だ、という。
そんな先輩未亡人達と母の会話に、横で耳を傾けた。
痛いのは嫌だけど、家族に迷惑かけたり
たくさんのチューブに繋がれてまで自分は生き続けたくない、と。
それは、私でもそう思う。
 
母も自分の母親を
「なんであの時、あのまま行かせてくれなかったんだ」と
言われながら看取ったのを悔やんでいる。
100歳近くまで生きた義母も、もういいから早く逝きたいと願っていた。
だから母は、自分はあんな風に、自分の意思に反して生かされたくないと思っている。
 
終末期医療で、延命措置を望まないことを自ら意思表示するための文書は
事前指示書や意思表明書とか
リビング・ウィル、とか言うそう。
 
 
尊厳死宣言公正証書
 
 
初めて葬儀を出すことになった私達実家の家族には、
知らないことがいっぱいあったので
兄弟が「親の没後の手続きの本」を買ってきた。
そこにも終活準備やリビング・ウィルの作成方法とかが書いてあった。
 
突然父ちゃんが死んで猛烈に後悔して悲しいというのに
母ちゃんの死ぬときのことまで、考えなくちゃいけないのは嫌だったけど
母ちゃんの意思を可能な限り尊重したいから、それは大事なことだった。
 
 
長男の嫁として、それなりに嫌な思いをしてきた母の愚痴を、延々と聞いた日々。
 
NZで同じように、いつも電話で聞いてたことだけど
「母ちゃんの不満の毒出し」が必要だろうと思った。
ひと月半、思い切って日本に帰ったのにはそういう理由もあった。
 
長いこと母や兄弟の話を聞いていると、今年に入ってからの父は
本来の父とは違うようだった。
 
人に言われていることがちゃんと理解できなくて、チグハグな返事になって
周りが自分の言ってることを理解できていないのを
父自身も感じていた、と兄弟は教えてくれた。
それでも兄弟のおかげで、父はギリギリまで仕事を続けていられた。
 
本当は優しいのに、もともと口が悪く頑固だったから
母と言い合うこともよくあった。
 
そのせいで、このところ父の頭は混乱していて
怒りっぽくなったかと思うと、子供のようになったりして
本来の父とは違っていたことにも、母は気がつかなかった。
 
得意な事、仕事、車の運転はしっかりできていた。
それ以外が、頭の切れる父が、チグハグになっていった。
何度も私や孫達に咎められて、やめる努力をしていたタバコは
たがが外れたように、起きてる間はずっと吸っているような状態になってしまった。
 
手術するからタバコは厳禁、と
お医者さんにきつく止められていたのに
全然やめるどころか増量していった。
案の定、タバコのせいで起きる症状が出てしまって
あっさりと父をあちらに、連れていった。
 
でも死んで、やっと落ち着いて振り返る余裕ができたから、
この頃混乱してて、不自由でつらかった父のことを
家族で考えることができた。
だから、大変だった父の言動を持ち出して
もう腹立てる必要はないよね。母ちゃん。
 
長年溜まっていた母の中の淀みを思い切り吐き出した後で、
もう(口うるさい)父ちゃんはいないんだよ、
母ちゃんの好きなように生活していいんだよ、とわかってほしかった。
ずっとそばにいることはできないから。
 
うわさ通りおもしろい「チコちゃん」に、母娘で笑いながら。
 
これからは、好きなように暮らしてね、と話した。
 
 
<年輩者を食い物にする消費社会>
 
父の片付けをしていたら、
今どきこんなに複雑な、スマホやインターネットの手続きあり???とか
お年寄り一人の体に、こんなに摂取する必要があるのか???
というほどの大量の健康食品を、あちこちから定期購入していて。
 
母はまったく把握していなかったので、
スマホ解約にも代行業者マルトクに、違約金一万円
ネット回線のための光デジの違約金も、九千円以上。
とにかく出国ギリギリまで、解約手続きが続いた。
 
本当に私でもイライラするあんな複雑な手続きを、お年寄りにさせて
混乱させて解約しづらくして、
他の安くていいサービスに移行させないようにしているのが
見え見えで、悔しい。
 
お年寄りが拒否しても、丸めこもうとするのが多くて
こんな業者に、私たちの親は狙われているのだ。
 
 
固定電話も、勧誘ばかり。
ある日なんかは、夜9時に大きな声で電話がかかってきて。
 
バカ:あのね〜!北海道の漁港でカニの販売をしてるんだけど、おたく〇〇〇〇さんちだよね〜?
 
私:…..どういうご用件でしょうか(怒)?(〇〇〇〇は父の名らしいが、読み方が全然違う)
 
バカ:もうすぐ年末だから、〇〇〇〇さんカニどうかな〜と思って!
 
私:…..あのですねえ!!!(怒怒怒 本人死んだんですけど!)
 
バカ:あああぁ。もういいや。(ガチャン、と切れる)
 
 
こんなの、私が出たからよかったけど
母が出たらきっと怖かっただろう。
別の日には、無言電話もあった。
だから固定電話もなくすことにした。
そういう奴らを許せない兄弟達が、近くで目を光らせてくれるだろう。
 
<終活の大切さが、身にしみた。>
 
職人気質の父は、とにかく息苦しくなるほどに物が多い。
それを処分するのも大変だけど、
後始末で困ったのは、銀行口座の名義人死後の解約だった。
 
預金額が少額だと、通帳とハンコといくつかの書類記入で解約できた。
 
本来は夫婦である相続人の母が書くべきなのだけど、
母は疲れ切っていたので、私の手続きでも大丈夫だった。
ただ母を、銀行や役所には連れて行かないといけなかったけど。
 
数十万円以上になると、父と相続人全員の(妻・子供)戸籍謄本と
相続協議同意書、実印、印鑑証明が必要になった。
 
戸籍謄本を請求しても、役場によっては
父と子供の関係が記載されていないところもあって
「原戸籍」というのを請求しないといけなかった。
 
そして、日本で実印のない私は
NZに戻って日本領事館から、サイン証明と在留証明を請求して送らないといけない。
 
仕事や小さい子の育児で忙しい、日本の兄弟達の負担にならないように
できる限りの面倒な手続きを、私が済ませたかったんだけども。
 
家の重要な書類のありか、印鑑、暗証番号や通帳や預金、保険があるのか?
いくつあるのか?
名義変更は誰にとか。
元気なうちに家族に分かるように
「書面やノート」に残してもらうのって、とても大事だなって思った。ホントに。
 
うちの母も、子供達があちこち駆け回ってるのを見て
「いざという時のための指示書」をこれから残すつもりだそう。
残った子供達が大変だから。
 
 
<親の死を受け入れられるのは、いつだろうか。>
 
どうしても、後悔の念は押しよせてくる。
波のように。
 
NZ移住の時、成田空港であわただしく握手をしたのが
あれが最後の父の力強いぬくもりになろうとは、露ほども思わなかった。
 
10年以上も、日本に帰らなかった。
 
ごめんなさい。
 
育児と生活で精一杯だった。精一杯すぎてた。
 
あの頃。不当解雇にあったことも労働搾取も
何年もかけて闘わないで
他の人みたいに「なかったこと」にして
両親の元気なうちに、顔見せに帰ればよかったんじゃないか???
バカじゃないか?私。
 
よその国の政治に首突っ込んで、
国全体のためだとか政治活動してないで
両親との時間を過ごせばよかったんじゃないか???
 
 
ある人が、父親の死を受け入れられるまで3年かかった、と
この前教えてくれた。
それくらいは、かかるものなんだろうな。
 
 
本当は、葬儀にも出られないかもしれないピンチがあった。
 
ここには書かないけれど、
ピンチを救ってくれたNZの人達の思いやりのおかげで
通夜には間に合わなかったけど、
葬儀には間に合うことができた。
 
骨になる前に、父ちゃんの顔を最後になでてあげることができた。
 
骨壺に全部入りきらないほど立派な骨は、全部入れるために
火葬場でバキバキ砕かれてしまうことに、私達は驚いた。
 
それでも残った立派な骨を分けて、NZに連れて帰ってきた。
生きている時は、来ることのなかったNZに。
 
忙しい私達に気を使って、遊びに来なかった私達の家に。
 
念のために、火葬許可証を翻訳して持ってきたけど
空港で「父の遺骨なんです。」というと
同情されたのか、それはいいよと言われて。
翻訳を見ることもなく。
 
 
ほんとは、もう少し子育てが落ち着いたら
ミルフォード・サウンドとか連れて行ってあげたかったんだよ、父ちゃん!
 
ほんとに、もう、逝くの早すぎるよ。
 
 
「お前は、一番父ちゃんに似てフロンティア精神があるから、頑張れ。」と言って
NZ移住に送り出してくれて、孫たちの成長を喜んでくれていた父。
 
私が簡単に帰れないのを知っていて
会えなくて寂しいのを、言わないでいてくれた。
 
 
海外暮らしじゃなくても、親と離れて暮らしていれば
後悔すること誰にでも、起こり得る事だろう。
 
これを読んでくれているあなたに、ご健在の親御さんがいたら
ぜひ、会って話す時間を作ってくださいね。
 
元気だ元気だと思ってたら、
別れの時がきてしまうのはあっという間だったから。
 
 
さあ。
日本に帰るのに、仕事辞めなくちゃならなかったから
新しく仕事見つけなくちゃ。
 
がんばろう。