Sparkling* 光ってるのどうする?

こんにちは、ウトです。こちらは 以前のBittersweet in NZ の続きです。主に、NZ暮らしでの体験や思いを言葉にして発したくなると綴る私感ブログです。

ニュージーランドで、おうちリノベ。其の弐

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お風呂に入ることを夢見て。
増改築の構想に5年を月日を経て、
やっと建築家にアイデア通りに製図してもらった図面。
 
でも、ここから先もつまづきました。
 
<受け入れられなかった日本風のお風呂>
 
なぜ、お風呂場全体を防水加工するウェットルームが
ニュージーランドで一般化されるまで、待たなきゃいけなかったかというと
施工してくれる業者さんが、なかなか見つからなかったからです。
あくまで私の周りでは。
 
機会あるごとに、「お風呂場全体の防水加工」のアイデアを伝えても
風呂場全体を、防水加工する必要がないという業者さんたち。
 
私のアイデアを図面化してくれた建築家と
パートナーの建築業者は「シャワーは費用節約のために『ボックス型』でいい。」と。
 
 
 
よく言われる「建築家とビルダーは、相容れない」現象がここにも。
 
建築家は私のアイデアに賛成で、
ビルダーは経費節約のためにバスルームを従来通りにしたい。
 
 
ニュージーランドのお風呂では、屋外にあるようなスパプール以外だと
『追い炊き不可能』でした(当時)。
 
だから水温を保つには、お湯を追加しないといけない。
 
お湯抜きしてから、お湯追加するのは、お湯のムダ使い。
 
お湯追加するために、体を洗ったりして有効にお湯を使うには
『風呂場全体の防水加工』が必須。
 
水のムダ使いにならないように入浴するための考え方が
日本の入浴スタイルを知らない人たちには、なかなか理解してもらえませんでした。
 
この「追加分のお湯」を
お湯抜いてから足すのか
体洗ってから足すのかじゃ大違いですよね?
 
その「お湯もったいない」感覚を理解してもらうのが大変で。
水道代も高いし。
 
私は、家族のための風呂づくりに燃えているのに
「風呂は、日本人の命なのぉぉぉぉぉ。」と伝えてもわかってもらえない。
 
 
そのため
普段は日本人だからといって、日本人にサービスを受けることはないのですが
この時ばかりは、日本人建築業者に聞いてみることにしました。
 
そしたら「お風呂への熱い情熱」をわかってくれる
韓国人の建築業者さんを紹介してくれたので
やっと増改築に着手。
 
あきらめかけてた子供たちも
「これはもう、ママの執念のおかげだね。」と言っていました。
せめて情熱、って言ってちょうだいよ….
 
 
<夫の教育:“デザイン熱”を育てる。>
 
わかってくれないのは、業者だけじゃなく
夫もでした。
 
大変そうだし、お金が、って。
 
家中の不便、特にバスルームを変えた方がいいというのは
家族みんな同意していましたが
いざ実行となると、尻込みする夫。
 
つべこべ言わずに、言うこと聞け!というわけにもいかず。
家族のことだから強制できないし
協力体制を作らないと、実現はできません。
 
おうち作りの情熱を、夫の中に点火しなくちゃ。
 
この頃の夫には、デザインにほとんど興味がなかったから
お家リノベの情熱を語っても、馬の耳に念仏。
 
それでも「古い日本家屋・日本文化好き」な、元在日外国人。
 
そこで
イギリス長寿番組のグランドデザイン Grand Designを、一緒に観るようにしました。
 
 オーストラリア版とニュージーランド版もあるので、ちゃんと観てました。
 
特に
イギリス版のプレゼンター、ケヴィン・マクラウド Kevin McCloud
建築や歴史に関する知識がとても豊富。
しかもウィットに富んでいて、ほれぼれするほど言葉の選び方が素晴らしいのです。
 
あれだけ長年観てきたんだから「うっとりするケヴィン語録」を
メモして残しておけばよかったなー…残念。
 
ワインは赤、のケヴィンらしく
芳醇なワインのような豊かな言葉の表現と
茶目っ気のある語りで伝わる
建築プロセスとデザイン性の美しさは
今では私たち夫婦にとって、大事な「心の栄養」ともいうべき番組です。
 
始めのうちは、
「このデザインだからこうやって効率的になったり
美しいラインや空間になってるんだよ。」と毎回教えていたのですが
そのうち夫にも、自分でわかるようになっていきました。
 
そうして、お互い好きなデザインや空間を共有できるようになって
ラッキーなことに、夫婦で好みが大体同じになりました。
 
コンテンポラリー
ミニマリズム
インダストリアル、とか。
 
夫の大好きな日本の建築や路地裏の閑寂さに
通じるものがあるのでしょう。
 
オーストラリア版グランドデザインだったけど、ある夫婦の好みが
夫:インダストリアル、妻:ファンシー、の家がありました。
すごくお金かかってるし、上手くコラボするのを期待したものの
結果はチグハグで残念なおうちに。
 
建築・増改築するプロセスの中で
途中から1日に嫌になるほど、たくさん判断しないといけなくなるので
好みや知識の共有ができるのは、とても役立ちました。
 
こんな風に、夫の「おうち作りの情熱」を発熱させるまでには
4〜5年かかりました。
 
 
<インプット(リサーチ)と、アウトプット(判断)の連続>
 
 
ビルダー達と私は話し合いだけで、頭の中でビジュアルが浮かびます。
 
でも、夫にはそれができませんでした。
 
建築プロセスでは、途中から
毎日多くの判断をしないといけません。
 
ビルダー達と私のやり方で、プロジェクトを進めるほうが早いけど
それだと夫が取り残された感じがすると言って、嫌がりました。
そりゃそうよね。
 
だから、雑誌やネットのビジュアルを使って可視化して
小さいことから一つひとつ、説明しなければなりませんでした。
 
それでも、結局デザインのことは、私が決定するんですけどね(笑)
 
平日も休日も、パーツや材料探しや調達にあちこち回らないといけません。
 
途中から、材料・デザイン・寸法とか即時に判断しないといけないことが
日々いくつもあって、決定を任されるのは私だったので、責任も重かったし
たくさんリサーチして勉強して、即決できるようにしなければなりませんでした。
ビルダーに「もう、セミプロの域だね。」と言われるほどに。
 
 
空気清浄の業者選びでは、大手業者のセールスで
「そのファンとフィルターの位置で、そこまでいうほど効率いいのかな?」と
疑問に思ったので
そのファンの製造元がドイツ語だったけど調べて、ドイツ人の友達にも確認。
そしたら、どうやら過大広告っぽかったので
再度の説明時にセールスさんに聞いてみたら、とても困らせてしまいました。
結局、別の業者に。
 
わが家では、家に住みながら増改築をしたけど、大変でした。
朝早くから業者が来るから、身支度を終わらせていないといけないし
1日の作業が終わると、細かい粉が作業エリア以外にも拡散しているので
床を拭き掃除してからでないと、家族に移動OK出せません。
 
できるなら、建築現場近くに住んで
毎日確認しに行くのが、一番ストレス少なくていいかも。
 
 
 
家族の体調が悪くなっていって
冷えを改善するためのお風呂を作ろうと発起してから、5・6年経ったころ。
 
<やっと、念願のお風呂に入れるようになりました。>
 

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 「ピラミッドの中にいるみたいなのがいいな」と夫が言ったので
そういう感じの掘り出し物のタイルを、
オークランドの端っこまで行って見つけました。
 
他のエリアもそうだけど、家族の意見をあれこれ取り入れました。
私1人で決めると多分エッジが効きすぎちゃうので。
 
 

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シャワーの床は、玉石のタイルでちょっと足裏のマッサージ。
 
 
浴槽は、ジェットバス。
ジェットバスにしたのは、ボコボコボコとマッサージ機能の他に
保温機能がついていたから。
 
ニュージーランドのガス設備では、どうしても「追い炊き」ができないんですよね。
 
だから、保温機能のあるジェットバスのショールームに行って
「保温温度は何度?」と聞いたら
そういう質問は今まで聞いたことない、とセールスもメーカーも
保温温度がわかりませんでした。
 
ね?これこそニュージーランドですよ。
 
脱力の国、ニュージーランド。
 
「脱力」=ほっとする、じゃなくて
がっかりの方ですよ。ほとんどが。
 
保温できるのが売りなのに
保温温度が、35度だったらどおすんの?体温以下じゃん。
 
調べてもらうことにして、後日行ったら
「おそらく38度くらい」との情けない答えが。
 
やっぱり。それじゃ冬はヌルいってことね。
 
でも、日本の風呂文化をこよなく愛した夫が
ボコボコマッサージを気に入ったので、これにしました。
 
やっぱり、家に取り付けても約38度じゃぬるいので、
お湯張りで40度くらいにしてます。
 
でもぶっちゃけた話。
ジェットバスじゃなくて、シンプルな浴槽でも
浴槽のふちが平らだったら、お風呂のフタを半分以上閉めたまま入るだけで
体が十分あったまるだけの保温効果は持続できると思います。

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こうやって。
 
ぬるめ好きが先に入って、熱いお湯足して
後で、熱め好きが入るとか。
 
浴槽は、NZでは浅くて長いのが多くて(なのでなるべく深いものを選びました)
うちのは、幅80cmと長さが180cm。
 
そこで規格サイズ外の風呂ぶたを、日本から購入しました。
 
ラインが気に入って、これにしました。けど、売り切れてるな。

こういうのとか。 
 
 
夜遅くに、ゆったり入るのに
このタイプだとパタパタ音がして、気になるという人は
3枚割タイプだと、静かめに入れるでしょう。
 

 
 
<6年ぶりのお風呂>
 
日本では毎日入ってた、お風呂。
 
子供たちも、3人一緒に湯舟に使って「おお〜な〜み〜小〜な〜み〜!」
日本の小学校で作る波プールを、お風呂でジャブジャブ
大笑いで波立てて入ってたのが、懐かしい….
あの思い出を作ってあげられて、本当によかった。
 
そしてNZ移住以来入っていない、6年ぶりのお風呂にみんな入りました。
 
みんなの感想は「すごい疲れた。」
 
入浴は思いのほか、体力使うようです。
 
よわっちいぞう、みんな!と最後に入った私。
 
予想外に、私も心臓ドキドキしてきて
久しぶりのお風呂は、ちょっと疲れてしまいました。
シャワー生活が長かったために、うかつにも私まで弱っちくなってしまいました。
 
***
 
またお風呂に入れるようになって、あれから4年。
 
ロトルアまで入りに行かないといけないのか、と途方に暮れてたのも過去のこと。
 
わが家のハラヨワ男くん。
成長したのもあるだろうけど
今ではもう、ハラマキを卒業したらしい。
 
 
それから、ニュージーランドの生活では
芝刈り、木々の手入れ、庭掃除がとても手間がかかっています。
夏なんか、しょっちゅう週末がつぶれて。
何のための庭?掃除するため?ってくらいに。
 
そんな汗だく泥だらけの庭仕事の後は、必ずお風呂に入ります。
 
利き手なんかは、プルプル震えるほど酷使するので
しっかり温めてコリをほぐすのが必須です。
Melvinsを聴きながら、半分瞑想。
 
寒がりなせいもあるかもしれないけど
けっこう夏でも、夕方から体が冷えているみたいです。
お風呂につかると「あ、冷えてたんだ。」ってジワジワ感じます。
 
おうちリノベ頑張って、一番よかったなあとしみじみ思うのは
ホカホカの肉まんみたいに頭から湯気立てて、夫がスッキリして出てくる時。
 
「体軽くなったなぁ〜」なんて言ってます。(なってない、なってない)
憑き物でも、落ちたように清々しく。
 
リノベーションでは
お風呂周りだけじゃなく、不便で効率悪い部分をあちこち直したので
今では昔のレイアウトを忘れたくらい、暮らしやすくなりました。
あるべき暮らしになった、というか。
もちろん、残り湯も再利用しているし。
 
元々はクレイジーだ!と反対され続けていたアイデア。
 
もっと早く賛成してくれれば
もっと早く快適生活に入れたんだよ、夫くん。
 
グランドデザインUKのケヴィンもよく言う
「予算の20%オーバーは想定内」は守れた。
それでも経費節約で、家の基礎部分は変更しなかったので
デザインの快適性を追求するのにも限りが出ちゃうな、というのは
作ってみて思いました。
 
やりすぎないでブレーキかけたのは
ここは、終の住処ではないだろうな、と思うから。
 
この家は、国内でも良い学校と評価されている小・中・高校の学区内にあります。
これまで書いてきたように、改善してほしいところはあるけれど
それでも、国内で比べると、これらはとてもいい学校なのです。
 
そして人口増加は今後も進むから、学区外からこれらの学校に入るのが
将来厳しくなることは、避けられないでしょう。
 
だから、この家は子育てをするのにちょうどいい。
 
私たちの子育ては後半に入っています。
私たち家族が暮らしやすかったら、
いつの日か暮らすであろう、別の家族にも暮らしやすいはずです。
そう誰かさんのことも考えて、改築しました。
 
 
だからいつか、初めから自分たちで好きなように全部建てて
グランドデザイン作りたいね〜と
夫婦2人で夢みています。
 
ケヴィンが来てくれるような?いや、NZだからクリスだな。
いや、やっぱはずかしいから静かに作ろう。
 
大きすぎる夢なんだけど、いつか。
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ニュージーランドで、おうちリノベ。其の壱

「許せない!!!」
 
プリプリ怒って、夫が帰宅。
 
ニュージーランドで育ったアジア人で
外見はアジア人だけど、中身は西洋人のことを
 
「バナナ」と呼ぶそうで。
 
そんな呼び方が、この国では
平然と悪びれることもなく使われてるのを、耳にしたらしい。
 
受け持つ学生たちの中には、そういう人もたくさんいるから
腹立つのもよくわかる。
 
外は黄色で、中は白ってことね。
 
待てよ?うちの子たちも、そう呼ばれるの?
なんか薄い黄色だなぁ、とかって?
なんかやだな。
 
 
***
 
木々が芽吹いてきて、春に近づきつつある
9月のオークランド。
 
でもまだまだ寒い日があって、風邪を引く子供も多いようです。
 
クイーンズタウンの方では、雪の映像がありましたね。
 
この時期9月の高校では(Year9・13歳〜 Year13・18歳)、
来年度の教科選択のためのエントランステストや、
11月には学外テストの模擬試験が行われます。
 
特にYear12の生徒にとっては、
高校卒業後の進路に必要な教科選択ができるかどうかの
大事なテストでもあります。
 
エントランステストが上手くいっても、11月の学外テストで良くない結果だと
その教科の選択が認められないので、全テストが終わるまで気が抜けません。

 

4年前には、こんなことがあったので
うちでは全部の結果が出て来年の進学のことが確定するまで、
12月が終わるまでは、胃が痛いです…
 
試験を乗り越えるまでの体調管理が、特に大事なこの季節。
 
海外暮らしだと、周りには冬でも半袖の地元民がいたりして
「身体冷やさないように」とか「温活」の意識が薄い感じがします。
 
他の海外暮らしさんは、冷え対策どうしているのだろう?
 
どれだけ他の人は、お風呂に入れているのかな?
 
 
<NZ移住したら、体が弱くなった。>
 
ニュージーランドで暮らし始めたら、
緑もいっぱいあって人も日本より少ないし
「のびのびおおらかに、スクスク健康なくらしができそう!」って
イメージありませんか?
 
でも、わが家の場合。
 
移住して1年くらいしてから
日本では元気だった家族が、
あちこち不調を訴えるようになってしまいました。
 
特に、夫・長男・次男と
男性陣3人のアレルギー症状を始め、あちこち弱くなって。
 
そういえば以前、夫の生徒の日本人医師が連れてきたお子さんも
NZに来てからアレルギーがひどくなったって言ってました。
乳製品の使用が多すぎるからだろう、って。
乳製品減らしてよくなったそうです。
 
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小麦も多すぎるよなあって、自分は思ってるんですけどね。
 
次男は、日本ではなんともなく元気だったのに
ツライ全身のかゆみと、お腹の冷えと、ひどい偏頭痛に
何年も悩まされました。
 
愛用は、ほぼ日のハラマキ。
 
彼は中学でホッケーをしていましたが
入部した当日に練習なしのまま、夜の試合。しかも雨の中(NZによくある話)。
ずっと雨の中の試合は普通にあったから、冷える冷える。
 
そんなNZで「ハラヨワ男」への理解などあるはずもなく。
 
 
このサイトで「ほら見て!このラッパーのお兄さんも、ハラヨワ男なんだよ。だからちっともはずかしくないんだよ!」と
多感な時期のハラマキ着用をはげまし続けました。
 
学校ですら、雨にぬれても子供たちを放っておく。
体が冷えてるのに、お風呂に入れないことによる
「体の冷え」が悪いに違いないって。
 
わが家には、浴槽がなくてシャワーしかありませんでした。
その前の家の浴槽は長く、お湯がすぐに冷めてしまって
実用性のない意味のないお風呂でした。
 
とにかく「体の冷え」をどうにかしなければ….
家族の健康を守るには、お風呂がなければダメだ!
風呂に入れなければ、日本に帰った方がいい!
真剣に考えていました。
それほどに、3人の症状は悪かったのです。(女性陣は、なぜか丈夫)
 
以前聞いた、お風呂恋しい人のアイデア。
子供用ビニールプールを二つ用意して
一つの底をくりぬいて、もう一つとつなげてお風呂にするというもの。
わかるわかる、私も同じこと考えた。
 
 

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これは、リノベーションする前の図面。
 
 
 
よ〜く見てください。
このメインのバスルーム。
 

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トイレと、シャワーと、洗面台が一つのエリアに。
ニュージーランドで、よくあるタイプです。浴槽は無し。
 
 
忌々しい….
 
これが私たち、ずっと大嫌いで。
 
シャワー入ってる時に
誰かがトイレ大至急で
歯みがきして早く寝たい子がいたら?
 
トイレと、シャワーと、洗面台。
3つの用途が、ひとつずつしか使えないじゃん!
 
子供たちが小さいうちはいいけど
みんなあっという間に、お年頃なるのです。
 
人生のうちで「裸体を洗う行為」のと「排泄行為」は
共有しない期間の方が、圧倒的に長い。
それなのに、こんな安易な暮らし設計がまかり通っている。
バカなの?
 
こんなに不便で、家族アンフレンドリーな設計
ニュージーランドではありふれていることに、本当に耐えられなかった。
 
しかも、温水タンクは5人家族には小さすぎて
シャワーはおよそ2.5人分。
しかも、よりによっていつも私のシャワー中に
温水が冷たい水になっていく…
家族一、寒がりなのに!
 
 
<家族の健康を、守らなければ!>
 
お風呂に入る夢を叶えるためには、増改築をする必要がありました。
 
そのために、まず
日本の家とは大きく違う「ニュージーランドの家」に
戸惑っていたこともあって、リサーチすることにしました。
…と言うか、好きだからやってたんですけども。
 
 
当時参考にしてた、おうちマガジンです。
 

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『green』
オーストラリアの雑誌。環境に配慮したデザインやアート性が強い。
間取り図があるので、一番参考にしたお気に入りの雑誌。

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『INSIDE OUT』
これも、オーストラリアの。クリーンラインを多用したデザインが豊富で、実用的。
 

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『HOME NEW ZEALAND』
広大な風景を活用した建築が多いので、わが家には実用的ではないけど、
アート性が高くてインスパイヤされる。
 

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『Your Home and Garden』
ニュージーランドで人気ある雑誌。時々扱うデザインが安っぽくなるのが残念だけど、最近立ち読みしたら持ち直したみたい。
日本ではいいデザインも、そのまま海外に持ってくるとこじんまりしすぎて、
せせこましく感じられてしまう、というのに似ています。
 

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『homestyle』
NZのクリーンラインが多くて、満足度が高い。間取り図も役立つお気に入りの雑誌。
 

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『urbis』
建築とアート満載!面白いし、部分的にも参考にしました。
 
 
このころはニュージーランドの方がオーストラリアよりも、
シンプルでクリーンなラインの建築が多かったので
移住当初は、受け入れられなかったニュージーランドの住宅建築だったけど
モダンなNZ建築は好きになっていきました。
 
それでも、日本のようにお風呂場全体が防水加工してあるものは
なかなかありませんでした。
 
でも、地道に
雑誌などから建築研究をしていくうちに、とうとうオーストラリア雑誌で
お風呂場=ウェットルームが台頭してきました。やったー!
 
そしてその一年後に、ニュージーランド雑誌でもウェットルームが登場!やったー!
 
「風呂作るぞ!!!」と燃えてから
実際、増改築が現実に着工できるようになるまで、5年の月日が流れました。
 
 
<アイデアを図面にしてくれる建築家探し>
 
長年の下調べの成果で
大嫌いなバスルームエリアを、効率的に変えるデザインは
夢にまででくるほど、私の頭の中にしっかりできていました。
 
でも増改築のためには、私のアイデアを理解してくれて
図面に起こしてくれる建築家が必要で。
探すのにとても時間がかかりました。
 
そうして、やっと見つけたNZerの建築家。
ミーティングで、アイデアをちゃんと伝えて決定したのに
それでも限りあるスペース内で収まり切らない…と悩んでいました。
 
「こうやったらどうですか?」私が描き直したら、素晴らしい!と喜んで
 
私の長年思い描いていた通りのデザイン
建築許可取れるよう実現可能な図面に、仕上げてくれました。
今ではCADで通常描かれるので、手描きの平面図は珍しいそう。
 
 
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トイレと、シャワーと、歯みがきスペース。ちゃんと分かれました。
もういちいち待たなくていいのです :)
 
家族の動線や、性格、生活リズムを熟知している住人(うちでは私ですが)の
アイデアを住まいのデザインにしっかり練りこんでいくのって、
すごく大事だと思います。
 
住まう人のアイデアや理念を
しっかりわかってくれる業者さん探しが、とても時間かかりました。
 
 
 
 
 

 

子供を伸ばすのは「ことば遊び」か「脅し学習」か?

ニコニコと優しい笑顔で
今日も子供のダジャレやうんちくを延々と聞いている、ご家族のみなさん
 
ごくろうさまです(^^)
 

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よそのお家ではどうなのかな。
 
子供が、ダジャレやうんちくにハマる時期ってありませんでしたか?
 
母の横で、延々と毎日語り続けられる、ダジャレやうんちく。
 
私のトイレにまでついて来て話し続けるほど
わが家の3兄妹には、「あふれ出る言葉を止められない!」熱い時期がありました。
 
ピークは、10〜12歳頃でしょうか。
 
 
 
長男は、日本語でダジャレ。
次男は、英語でうんちく。
末娘は、英語でPun(ダジャレ)。
 
延々と聞き役、時にツッコミながら
どこで笑えばいいんだろう?
なんでそんなことに深く突っ込んでいくんだろう?
….などどたまに思いつつ、
あんまり長いのでボーッとなりながらも、止めることなく聞き続けました。
 
ごはんを作ってて危ない時なんかに、
やむを得ず「ちょっと待ってね」ということもありましたが
「で、それで?」とすぐに続けて言えるようにしていました。
 
ダジャレでもうんちくでも「ことば遊び」を考えて
表現するのは、すごく素晴らしいことだと思ったのです。
楽しんでるから、こっちも止めたらいかんぞ、っていう気持ちで。
 
こんなに気長にニコニコ聞いてあげられるのは、家では私しかいない。
子供たちが満足するまで、思いついたアイデアを表に出させないと
子供たちのストレスは溜まってしまう!と思いました。
 
だって、子供たちは毎日ニコニコイキイキしながら
時には、自分の話に大爆笑しながら話し続けてました。
 
それが数年続こうとも、誰が止めることができるでしょう?
 
***
 

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さすがにシリーズ全巻は、そろえられなかったね。
 
長男は、ダジャレピーク時には日本で暮らしていたので
当時の子供たちに大人気だった(今もそうかな?)
 
「かいけつゾロリシリーズ」の洗礼を受けて育ちました。
 
それはそれはすっかりハマるほどの面白さで、創意工夫にあふれてて
作者の原ゆたか先生は
「本にかじりついて読む楽しさ」を子供達に植えつけてくれました。
 
アニメでは、ゾロリはもちろん、
イシシとノシシもイメージぴったりの声だったので
親子みんなで楽しく観ていました。
 
あと、「にほんごであそぼ」や「ピタゴラスイッチ」。
特に「仮面ライダー」シリーズは、確実に息子2人の心の財産。
仮面ライダーの影響力は、なんか、すごい根付いてる。
日本で育ったのを誇りに思う、子供たちです。
 
かいけつゾロリでのダジャレは「おやじギャグ」なので
長男はニッコニコの笑顔で、延々とおやじギャグ。
 
次男は、好きなもの気になるものへの、熱いうんちくが。
 
でも、一番強烈なのは末娘のダジャレ。
Pun Queen として高校入ったらダジャレクラブ作れば?と勧めたけど
ティーンになって、ちょっとは恥じらいもあるらしく、作りませんが。
家だけでは飽き足らず、学校でも友人たちを悶絶させているようです。
 
もうそろそろ冷めてもいい頃なのに
食卓でも続く、ダジャレ熱。
悶絶しながら夫が、(打ち負かして、落ち着いて夕食を食べようと)
さらに上をいくダジャレを連発するので
火に油を注いで、未だ消える気配はありません。
加えて、最近は「私の主張」も(^^;)
 
 
NZに移住した時3歳だった娘は、幼稚園で日本人のお友達がいたのですが
そのお友達が日本に帰国したとたんに、英語が上達しました。
 
小学校のYear2(6歳)には、
毎日お話を作っては、クラスで発表するくらいになっていました。
先生がお話を冊子にして、小学校の図書館に置いてくれました。
 
とにかくお話作りが大好きで、
スキあらば兄ちゃんたちのお古のノートにも、たくさんたくさんお話を書いていて
自分でゲラゲラ笑っていました。
 
毎日の中で見つけた新しい言葉も想像力をかき立てて、新しいお話がまたできます。
それが親が読んでもびっくりするくらい、いいものを書いているので
「いいねえ、おもしろいねえ!そんで次はどうなるんだろうね。」
 
楽しく書いているうちに、小学校高学年になり
ナショナル・スタンダード(もうすぐなくなる)によると
読み書きは高校生のレベルになっていました。
 
その時Year 4・5の混合クラスだったので
(飽きないように)勉強にチャレンジできる1年間にしてほしいと、
先生とも話し合ったけど、やっぱり年の終わりには
「この一年、学校であんまり学んだことなかった。」と娘は物足りなさそうでした。
 
NZの小学校には、学年の違う混合クラスが時々あります。
夫も私も反対で当初不満だったんですが、同じクラスのNZerママによると
子供の時、混合クラスだったけど別に問題がなかったそうなので
そのまま居させてみることに。
 
でも一年終わってみたら、娘自身が成長を感じれてなくて。
いい先生なんだけど、忙しくて
いろんなレベルをみきれてなかったと思うんですよね。
一番上のレベルの英語グループにいても、
難しい単語を覚えて例文を作るだけでは、娘には全然物足りなかったんです。
もっとそれ以上の刺激が必要だった。
 
その反動か、家で自分で難しい単語を使ってお話を書いたり
ダジャレにしてたので、フォローに気を配っていました。
 
 
<お父さん先生だから、勉強教えてもらっていいよね。>
 
と、よく言われるけど、うちではそんなことはありません。
 
もちろんお父さんのほうは、学年が上がるにつれて難しくなっていく
子供たちの英語の勉強を見てあげたい気、満々。
 
でも息子たちは、お父さんから勉強教わりたくありませんでした。頑として。
高等教育の、アカデミック英語の現役教師であるお父さんから
学ぼうとしませんでした。
よその人はお金払って教わりに来てるのに
家にプロがいるんだよ、もったいないよ〜!と説得しても全然ダメで。
なんでだろう、「息子としての意地」なのかな?
 
次男は聴覚情報処理障害(APD)があって、
耳の聞こえが良くないので、書く力が少し弱かったのですが
(そのためディスレクシアと間違えられやすい)
今年から脳トレーニングを始めたおかげで、
自信がついて、学力も伸びました。
 
日本でも「寛容な社会を」と言われていますよね。
でも私は、ここニュージーランドの地で
「寛容な社会への全体的な変化」をあまり期待はしてないんです。
そのころは、次男じーさんかも知れないし。
彼のこれから出会う人々すべてに、APDを理解してもらうのは難しい。
 
だって、もう「何?その反応、牛?」な人いるじゃないですか。
だから他人変えるより、変わりたがっている本人変えたほうが早いなと。
 
それに、これからの人生で次男と関わっていく人たちに
「聴覚情報処理障害」という症状によって
かけてしまう迷惑を、なるべく減らしたい、と思っていて。
 
困らせたり、
悩ませたり、
次男とつきあうの面倒くさいなぁとか
せっかく優しい子なのに、障害で曇らせたくない。
改善できるのなら、親として、最善を尽くす。
 
それで、現NZ首相に話をしに、母は会いに行ったのです。
障害克服は、次男の強い希望でもあったので
社会に出て自立できるようにと
障害改善につながる、脳トレーニングをしています。
 
さらに、父親からのアドバイスなしで、
英語力重視のテストでいい結果を出せたことが、次男に火をつけました。
高校からは、スケジュール管理のサポートも親がするように言われているのに
それも拒否して、次々とテストに向かっているようです。
 
こんな風に、勉強を教えようとするとスルーする息子たちには
多分、父親との日々の会話やディスカッションの積み重ねが
学力につながってるんじゃないかな?と思うんです。
 
勉強は教えてないけど、言葉の刺激は浴びている。
 
政治、社会情勢、宗教、差別とかの討論を、日々の家庭の中で。
 
 
この前も、
次男がお父さんと、政治と社会問題のディスカッション。
「聞き捨てならない」とボッと火のつく次男。
 
お母さんは、中立でいたいので、黙って聞いてます。
 
聞いてると、なかなかいい討論するんですね。次男。
大きくなったなぁ、と噛みしめつつ。
 
聴覚障害で、普段は聞き間違えがあるのに
「打倒、オヤジ」に燃えてるからか、聞き間違えがなくて
脱線しそうになる父親を、論点に引きずり戻して。
 
いつもの聞き間違えが出ないって、キミどういうことだね?
「負けるか、チクショー!」の威力のすごさかも。
 
討論は夜遅くまで続くので
夜更かしできないおかんは、先に寝ます。
そして次の日に、私の意見や良かったとこを息子と話します。
 
長男との討論は、穏やかだけど
次男は負けるかと、燃えるみたいで。
次男の方が、小さかった頃お父さんっ子だったのに、不思議。
 
でも夫はやっと、
娘と言葉や文学の楽しさを分かち合えるので、うれしそうです。
この前も、お互いに好きな詩の一節や表現方法を熱く語り合っていました。
こちらも夜遅く続くので、脱落したおかんは先に寝ます。
 
 
なんでもない日の、夜ごはん前にも
夫と次男と末娘が、バカ話をしてゲラゲラ大笑い。
ことば遊びなんだけども、レベルが高い。
高度なやりとりでも、よそ様には聞かせられない恥ずかしいバカバカしさ。
 
ダジャレ、うんちく、お話作り、兄妹の言い合いに
ディスカッションや、バカ話。
夫の専門知識を、直接には教えてなくても
日々のことば遊びで、子供たちの言葉力は育っていっているようです。
 
根底にあるのは、発したい情熱。
 
 
<“ Why Asian parents are annoying.”  アジア人の親が、ムカつく理由。>
 
これは、先日の娘のクラスであったスピーチ発表で
娘のアジア人友達の、スピーチ・タイトルです。
 
先生は、彼女のこのスピーチに「優・Excellent」をあげたそうです。
 
その友達によると。
 
アジア人の親のムカつくところ:
 
  • よそのできる子と自分の子を比べて、なんであの子みたいにできるようにならないのか?と責める。
  • ネット学習など、競い合う学習で点数を稼がないと怒る。
  • 親自身の英語力は大して上達していないのに、子供の英語が下手だと怒ったりイヤミを言う。
  • 「〇〇できないと、アレする(アレしない)」と脅す。
 
発表したら、
「その通り!」「うちもそう〜!」「アジア人の親だけじゃないよ!」と
クラス中から声が上がったそうです。
 
その日の娘は、少なからずショックを受けて帰ってきました。
親からそんなことされてる友達が、こんなに多くいるの?って。
 
 
兄ちゃんたちの友達の話から、暴言や重苦しいプレッシャーをかける
嫌な親の存在は聞いていましたが
(出来が悪いと軍隊トレ、可愛がってるペットを捨てに行くと言うとか、いろいろ。
親から逃げて来たい友達は、いつでもうちに連れて来るようにと
息子たちには言っていた。)
自分の仲よしの中にも、親から締めつけを受けている子がいることが
ショックだったようです。
 
「優・Excellent」を取り続けないと、国に帰るよ!と脅されてたり
(だからこの子はいつも必死)
アジア人・非アジア人の両親を持つ子も、アジア人の親の方がとても厳しくて
いい成績出さないと怒られるから、そこがキライなんだそうです。
 
親はきつく言ってるだけのつもりかもしれなけど
子供たちは「脅し」と思って、聞いたクラスメートも一緒に心配します。
 
夫の生徒にもいました。超有名校で、もうクラス一なのに
学年一になるまで英語特訓してくれっていう親が。
その生徒は、いじめをする子でした。
いじめられた子の親が、レッスン中に怒鳴り込んできたのです。
同じ国の大人同士の、嫉妬まみれの競争心は子供にも伝わります。
 
 
ちなみに、
家庭の中で私は、子供たちとは
それぞれが気持ちを十分に表現できるほうの言葉で、話します。
私はどちらで受け止められるから
英語でも日本語でもどっちでもいいんです。
その時、子供が気持ちを溜めないで出せるほうで。
これは、イギリスと日本両方の家族だからとできることかもしれないけど。
 
まず、子供の気持ちが大事
基軸言語を確立することが、最優先です。
いろんな家庭で、それぞれ意見があるでしょうが
うちでは、そういう訳で現在ほぼ英語です。
 
日本語もできる長男以外の日本語は、それぞれの気分が乗ってる時でいいかな。
 
子供時代の言語習得が、親の脅しやプレッシャーによる怯えで
つき動かされてるなんて、あんまりだと思いませんか?
 
バカ笑いや「負けるかー」でも、いい感じに伸びていくのに。
 
そこが親の工夫のしどころだし、
チャレンジしがいのある大事な部分だと思っています。
 
***
 
小学校のうちは、まだ周りについていけてるかな?と
親も思えることが多いと思うけど
高校5年間の中ごろに、追いつけていないことがわかると
かなり心配になるようです。相談を聞いてると。
 
この頃には、英語がかなり難しくなってくるので
友達同士での会話レベルだけで安心していると
難しい言葉を「正しく使う」ことが身につきません。
 
もし、生き抜くために今後も「学力」をつけていくのであれば
子供の「吸収したい」をこちょこちょ刺激して(決して押し付けじゃない)
「吸収したい思いに『吸収されるもの』探し」を手伝ってあげたらどうでしょう?
 
高校の先生たちは、忙しすぎて
一人ひとり生徒の言葉を、修正することはできません。
ニュージーランドで長年育っても、
難しい言葉を「正しく使う」ことが、大人になっても
修士や博士という人でも、できていない人がとても多いのだそうです。
 
だから、学校任せじゃなくて
「正しく使えるように」ちょくちょく直してあげられる
親か大人の力がそばに必要だと思うのです。
困ってる生徒たち見てると、このちょくちょく直してくれる
「いいお手本」がそばにいなかったみたい。
そういうのって、少しずつ積み重ねていくものだから。
 
子供の英語力が思うように伸びてないと
子供を疑ったり、責める親御さんが、いつもいます。
NZで10年見てるけど、全然減らない。
海外で暮らしているんだから、
親がまず、自分の英語上達させようという姿勢を見せるのが
筋じゃないでしょうか。
親がんばってないのに、子供だってがんばれない。
 
 
夫の生徒が、最近も
愚痴を通り越した、親への恨み節を話してくれました。
家の中は、親の母国語のみで英語環境になかったそうです。
長く過ごす家庭内では、母国の言葉と考え方を「強いられて」
英語力を豊かにする場では決してなかったといいます。
 
夫は、親子関係については、何もできないけれど
生徒の英語力を高めることで、自信と自己肯定感を高めることはできます。
 
ニュージーランドの
小学校5年間(最初の一年目は幼稚園の延長だから抜かすとして)と
高校の5年間比べたら、高校の方があっという間に過ぎちゃいます。
学校に任せっきりにしてると、わけわからないまま
子供の強みはどこだかもわからないまま
あっという間に過ぎちゃいます。
 
学校任せにしてなくたって、こういう予想外も起きます。
 
生徒たちから
絶えず聞かされる「親ムカつく」の苦々しさ。
聞くほうは、いいんです。嫌なことは吐き出したほうがいいから。
 
もう大きくなった生徒は、親に話してもわからないから
本心は隠して親に接してるんだそうです。
 
でも、大人はせっかく
家族のこれからを考えて移住してきたのだろうし
本当は、子どもにそんな風に思われている
なんていうのは、淋しいしイヤだろうな。
 
文句の数々を聞いていると、成長した子供たちに同情するのと同時に
同じ親として、こうなる前に
「想像力働かして」なんとかできなかったのかなあって、もどかしくて。
 
海外で育っても、その子の良さを十分活かす力がつかないで
「生きづらい」と悩んで
大人になってる人、たくさんいるのに
育てる側が、現実見ないで「成功例」ばかり見てる。
 
ある先生が以前、夫に(日本人妻がいることは知らず)愚痴ってました。
「日本人の親は、ファンタジーの世界で暮らしてるのよ。」
 
それ聞いて、なんで日本人?っていうか、言い返してよ!と夫に文句言ったけど
そういう風に見てる教師もいるってことです。
 
生きづらさは、どこにいても起こり得るし
国が変われば、バラ色になるとは限らない。
 
うちは、子供が生まれる前から
日本と海外半分づつの子育てを、決めていました。
基軸言語としての英語には、プロの夫がいるから
なんとかするはずだ、と思って。
 
英語以外の母国語メインの家庭だと、英語力への刺激はかなりの工夫がいるけど
それは移住を決めた時点で、親がわかっている現実だから
それ相当の対策練って、日々実行してるはずなんですよね。
 
子供の成長、待ったなしだから。
それぞれの家庭に合ったやり方を、自分たちで工夫して。
 
 
とにかく。
自分の子おびえさせて勉強させるなんて、どういう親なの?
正直、飛んでってスリッパで後頭部パコーンとはたきに行きたい。
何年たっても、
未だに、当然のようにアジア人家庭で起きてるって、どういうこと??
 
 
子に伸びてもらいたかったら
親がまず、進化・成長する。
 
情熱の促進力のほうが、なんたって気分いいし
強いのだ。と信じたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

大学。合格したのに、不合格。(高校のミスのせいで)

 

このブログのタイトル「Bittersweet in NZ」の
 
一番、Bitterだったこと。
 
これまでのニュージーランド生活の中で
 
一番、苦々しくて
 
悔しかったこと。
 

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それは4年前に起きた。
 
長男は大学合格しているのに、
 
高校の不注意によるミスのせいで、不合格にされた。
 
 
 
高校のミスの結果、志望大学の学部には入ることはできず
 
別の学部で1年間、学ぶことを余儀なくされた。
 
ニュージーランドでは多くの大学生が、国から学生ローンを借りて勉強する。
 
 
***
 
ニュージーランドでは、高校卒業すれば大学入学資格があるわけではなく
NCEAという国内資格の資格レベルを取得しなければなりません。
 
NCEA レベル1(Year 11、日本の高校1年生にあたる)
NCEA レベル2(Year 12、高校2年生)
NCEA レベル3(Year 13、高校3年生)
 
大学入学資格を取得するには
レベル3までのクレジット(単位)を取得して、
入学条件をクリアする必要があります。
 
うちの子たちの高校では、
「入学条件は最低条件であって、入学のためには大幅に条件を超えてクレジットを取得するように」と指導されます。
 
クレジットを取得するための学校内の課題やテスト(Internal)は、
それぞれの学年の新学期開始(たいてい2月)から、1ヶ月もしないうちに
次々と始まり
 
11月の国内統一試験(External)まで、
多くの生徒は、なるべく高いクレジットを取るために勉強しています。
当然のことながら一般的に、統一試験の方が厳しいです。
 
Achieved=可
Merit=良
Excellence=優
 
Not Achieved=不可
 
 
息子もよく言ってました。
「Achievedは、Not Achievedと同じだから取っても意味がない。
Merit以上取らないと。」
 
 
長男のように理系の生徒の多くは、
Year 12で、英語の入学資格条件をパスして
 
Year 13には、志望学科入学のために
理系の教科のクレジット取得に集中します。
 
長男も11月の統一試験を終え、
本人も親も胃がキリキリする思いで、12月に出る結果を待っていました。
 
 
そして12月中旬。
 
志望大学からの通達は
 
「大学入学資格を満たしていないので、不合格」
 
崖から突き落とされた。
 
 
 
「大学入学資格を満たしていない」ってどういうこと?
 
高校では、「大学入学資格あり」の確認済みだったのに?
 
 
大学の説明によると、
 
Year 12の時に取得した、レベル2の英語の試験問題は
次の年のYear 13で
NZQA(国立資格審査局)によって、
レベル3の試験問題として扱うことに変更されたので
 
息子さんの英語レベル2は、取得していないと認定される、との事。
 
 
意味分かりますか?
 
長男は、Year 12の時に大学入学資格のレベル2はクリアしているんですね。
 
でもYear 13になったら、
長男の合格した英語の試験問題のうちの1つを
NZQAが「レベル3の試験問題」として、変更。
 
その変更通達を受けて、各大学も変更し
各高校も当然変更して、進学指導していくわけです。
 
ところが、長男の高校は変更するのを忘れて
本来なら、別のレベル2の英語問題を受けさせるはずなのに
Year 13の1年間、英語はほったらかしのまま「大学入学資格あり」として
何も指導してこなかったのです。
 
長男は、英語レベル3はあるんです。レベル2がない。
 
だから志望大学の学科どころか、どこの大学の入学資格もないんです。
 
これこそ、まさしくニュージーランド!
 
大丈夫、って言われても、大丈夫じゃない。
 
努力しても、お金払ってても、確認し続けても
「まちがえた、忘れた」で
あっさり台無しにされる国、ニュージーランド。
 
これは、長男だけではなく
他の理系の生徒たちも、該当しました。
 
大学とNZQAに問い合わせでは
これは明らかに
高校の責任だから、一刻も早く高校と連絡取るように。
それまでは、不合格の決定を変えることはできない、と。
 
ところで、ニュージーランドのクリスマス休暇って知ってますか?
なーんにも動かない。
 
この時、12月中旬。
もう高校は、クリスマス休暇に入ってた。
 
NZQAも大学も、対応してるのに
間違った当の高校は、クリスマスホリデー。
 
何回電話しても誰も出ないし、
校長や先生たちに、何度もメールしても、ホリデー中だから返事がない。
 
何回長男と学校に入って、誰か先生いないか探し回っても、用務員しかいない。
 
1週間。毎日、何の返事もないまま、あちこち手を打つ日々。
 
希望の学部は、非常に人気があって競争率も高い。
 
 
「ダメだったら、もう俺、イギリスか日本か、放浪の旅に出たい。」
 
本当に、長男は憔悴しきっていました。
 
私も夫も、長男の努力をよく知っているから
3人とも、食べ物が喉を通らない日々でした。
 
 
NZに移住してきた時、長男は12歳。
 
日本では、公立小学校で日本語中心だったから
英語を本格的に身につけるのは、NZの中学に入ってからでした。
 
3人の子供の中では、大学までの英語習得の期間が7年と
一番短いから、一番苦労したはずです。
 
いざ中学に入ると、本人の英語も全然おぼつかないのに
同時期に移住してきた生徒のサポートを
先生からお願いされるようになりました。
話が通じる人が、長男しかいなかったのだそうです。
 
もちろん困っているのだから、助けるのは当然です。
でも、担任だけでなく他の先生からも、その生徒に話すことがあるたびに
授業やテスト中、体育であっても、長男が呼び出されていました。
中学1年の時は、毎日。
2年になると、3日おきくらいに。
 
長男の授業やテストが、毎日しょっちゅう中断されるので
もちろん担任に、親として改善を求めましたが
長男の代わりができる先生やスタッフがいなかったので
担任もとても困っているのは、親子共にわかっていました。
なので中学2年間、そういう日々は続きました。
 
それから。
中学に入ってからすぐに、
日本政府の「捕鯨」のニュースが大きく伝わって
NZに来て早々に「残酷日本人」のレッテルを貼られて
さんざん嫌味も言われたそうです。
 
だから、「日本人がみんな、捕鯨に賛成しているわけではない」と 
わかってもらうために、つたない英語で初めて発表するスピーチの
練習もがんばっていたということもありました。
夫不在なので、私が遅くまで付き合いました。
日本の捕鯨のせいで、海外在住の日本の子供たちが
嫌がらせや、精神的身体的の暴力の標的になることを
捕鯨推進派は、なんとも思っていないでしょう。
 
そういうこともあってか、中学入学してすぐから
長男は、毎日の宿題はESOL用じゃなく、他の生徒と同じものを出してほしいと
担任にお願いしたそうで、毎日遅くまで勉強していました。
そのおかげで、ESOLのクラスも1年だけで終わり
2年目の英語の授業は、ネイティブの子たちと一緒に受けるようになりました。
 
さらに。
中学生2年間、同じクラスには他に
アスペルガーのある友達がいて、仲良くしていたのですが
放課後になると、その友達自身からでなく
そのお母さんから、長男のスマホに「遊びに来てほしい」と
週に何度も連絡がくるようになりました。
その子は長男といると穏やかになるので、とそのお母さんは言っていましたが
本人からは連絡が来ないのに、お母さんから来るのはいき過ぎだと思ったので
それを拒否し続けるのも負担だったはずです。
 
高校に入ってからも、進みたい方向は本人の中では決まっていたみたいですが
日本の教育と比べて、NZの教育が自画自賛するほどいいわけじゃないっていうのが
日本の友人たちの学校生活と比べるから、わかってきて。
何でこんなクソなところ連れてきたんだ!とよくぶつかってきました。
 
その度に、
ボーダーを越えられる人になるためだよ、
これからの世の中には、それができる人がもっと必要なんだよ、と
何度も何度も伝えてきました(今ではそれをわかってくれている様子)。
 
長男の言うことはもっともで、
中学のパンフレットには「充実した科学の授業」ってあったのに
科学の授業なんて、数回しかなかったんですよね。
あんまりひどいので、校長にどういうことですか?と聞きに行ったら
教えられる先生がいないって嘆いてました。
ホントにお粗末でした。
でんじろう先生みたいな担任の先生がいた、日本の小学校と比べて。
 
親の方でも、宣伝とは違って、
教育者として内部から見えること山ほど出てきてしまっていたし
 
長男の苛立ちも、
イギリスと日本のどちらか一方でない
混ざっている自分に、葛藤していた時期もあったので
 
それを乗り越えての、大学進学でした。
 
 
「不合格」の通達から1週間。
やっと、高校の受付係に電話がつながりましたが、無情にも
 
「今日、先生は誰もいませんよ。」
 
それでも、長男と夫と3人で直接学校へ。
 
長男が「こっち」と裏から入ったので、ついて行くと
女の先生がいたので(!!!!!)
 
夫が急いで事情説明しようとすると、
 
先生の方が
「理系の入学資格のことですね?」と事情をわかっていて
緊急事態だったみたいで。
 
急いで進路担当者の部屋に、連れていかれました。
 
途中で、さっき「今日対応できる先生はいない」と私に電話で言った
受付係がいたので、首絞めたくなる感情を抑えながらも
 
進路担当者の部屋について、外で待たされました。
 
部屋には、別の生徒の家族がいて
ドアが少し開いた時に
中に、長男が理系のクラスメイトの後ろ姿を見つけました。
 
号泣するその子のお母さんの、大波のような鳴き声が
部屋の外に響いていました。
 
その泣き声を聞きながら、
やっぱり大変なことだったんだと思い知りました。
 
高校の犯したミスの被害者は、うちの子1人だけじゃなかった。
 
私たちの番になって、進路担当の先生が
急いでNZQAの担当者と連絡を取り、
 
レベル3の資格を、レベル2の資格として認定するよう
高校から正式に要請し、しばらくしてNZQAに認可されました。
 
そして、大学からは入学許可がすぐ下りました。
 
高校に、クレジットをカウントするスタッフはいるんだけど
間違えたのは、この人たちだそう。
 
だけど、思っていた通り
大人気で競争率の激しい、希望の学科は
1週間の入学の遅れで、定員を超えてしまったので入ることはできませんでした。
 
入学申請が1週間遅れたのは
高校のミスであっても、大学のミスではないので
決定は変わりません。
入れないものは、入れない。
 
そのため、1年後に志望学科に編入できる可能性がある、
別の学科に入りました。
 
長男と同い目にあった理系の生徒が何人もいて、ニュースにもなっていました。
その生徒たちも、長男と同じ道を選びました。
 
でも入ってから、別学科から志望学科に編入できるのは、ごく僅かのみで
非常に厳しいということがわかりました。
 
後にもこの大学は、医学学生を後々少数しか残せないのに、
多数受けつけているという話でした。
あちこちで「ファクトリー」と言われる所以です。
あまりにも競争率が激しいので、この学校に居続けるために
友人たちは、やりたかったことを諦めて別の学科に移っていきました。
 
友人たちは、長男にも他の学科へ移ろうと誘いましたが
長男は、自分の進みたい道を曲げませんでした。
 
それでもこの大学の勉強環境が、
自主勉強に座る場所がなくて地べたに座って
課題を書かないといけないような勉強環境が、好きになれなかったそうで
この1年で単位を増やし、別の大学の志望学科に
次の年、編入しました。
 
長男は、長くても自分のやりたいことを学び続ける道を、選びました。
 
 
***
 
 
NZQAの変更に対応しなかった高校側は、
NZQAと大学は責任は高校側にあると指摘したのに、
高校は、審査基準を変えるNZQAに問題があるとして
一切非として認めなかったし
 
私たちに謝罪も一切なかったので、夫が意見書を提出しました。
 
夫が書いたその意見書を、高校の当時の校長は文面を間違えて解釈して
私たち家族に、謝罪どころか、失礼極まりない無礼な返事を送ってきました。
 
アカデミック英語の専門家の書く文書を、
オセアニア最大の有名校の有名校長であっても、解釈を誤るのです。
間違いを認めない。謝らない。
 
私たちは、こういう間違いは今後起こらないように
学校の体制を改良してほしいと、正式に文書にしただけだったのに。
行き届いた良いシステム作りは、簡単にはいかないものです。
 
 
それでも、あれから4年。
 
今度は、次男の進路の心配をする番。
 
長男の時と違って、高校のIT化が進んでいるので
連絡システムはよくなってきているし、
コミュニケーションを取ろうとする先生たちの姿勢も変わってきています。
 
次男は、去年APD(聴覚情報処理障害)があることがわかってから
専門家と先生たちと親によるサポート体制を作って
脳トレーニングで、障害を改善するプログラムを実行しています。
 
長男の時には、ひどい目に遭わされた高校だけど
次男のために、私は学校に頭を下げてサポート体制を作りました。
他に困っている生徒たちが、後からついてこれるように成功例を作るため。
 
障害がわかった時、専門機関には次男のための有効な解決策がありませんでした。
だから私はこの体制作りのために、政治家にまで話をしに行ったのです。
 

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移住してすぐに、担任と校長から
学校現場だけの努力ではどうにもならないと、グチと悩みを聞かされ
当時の国民党政権は、教育費削減していったので
上からシステムを変えないと駄目だと、移住当初から思っていました。
 
高校とは、一時対立したこともあったけど
現在は、多くの協力を得ているので、ありがたいです。
あそこのオカンは黙ってないから気をつけよう、と
思われてるからかもしれないけど(笑)
 
高校の授業中に行われる脳トレーニングは、今年いっぱい続けられて
来年以降は、進学先で続きます。
だから障害を改善するためには、次男は進学しないといけない(笑)ガンバレ!
 
脳トレーニングの成果か
次男もまた、自分の可能性を信じて
 
長く学んでいく道に、挑戦するのだそうです。
 
***
 
一番、Bitterだった事。
 
これまでのニュージーランド生活の中で
 
一番、苦々しく
 
悔しかった出来事。
 
 
それは、私の受けた不当解雇、ではなくて。
 
 
 
子供の努力と一心さが、
「無能」のせいで
 
いとも簡単に
ポキっと折られるのが、許せなかった。
 
自分より、自分の大切な人が傷つくほうが
 
ずっとつらい。
 
 
移住1年目は、夫が仕事で日本によく戻っていたから
 
困って大変な時に限って夫がいなくて、相談できる日本人もいなくて
1人であちこち幼稚園・小学校・中学校をかけずり回っていました。
 
日本から送った家族愛用のダイニングテーブルは、輸送中真っ二つに壊れて
小学校からタダでもらった古い机と
持ってきた衣装ケースを積み上げた間に
板をのせて、テーブルにしていた。
 
お父さんいなくて大変だった時も、
気負わないように、さみしくないように
極スローなネット環境で、しんちゃんやドラえもんが
ゲラゲラ笑わせてくれてた。
日本での、いつもの金曜の夜みたく。
 
 
あれから10年。
 
 
兄ちゃん2人に続いて、
 
末娘も
目標持って、長く学び続ける道を選んだ。
 
 
はぁ….  仕送りがんばらなくちゃ....
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

世界母乳育児週間

8月1日から7日までは、「世界母乳育児週間」なんだそうです。
 
 
ユニセフによると
5人に3人は、生後1時間以内に母乳が与えられていないのだそうです。
 
ママと赤ちゃんたちの母乳育児の環境は
あたたかいとは言えないので
いろんな国で、もっとサポートが必要ですよね。
 
例えば。
お母さんが外出先で、
乳房を隠して授乳しているのに
あたかも汚い行為であるかのように
苦言を放つ人たちがいることは、残念です。
 
小さな赤ちゃんは、犬じゃないので我慢できません。
 
私も一時期そうだったように、授乳が1、2時間おきの場合もあるんです。
 
外で授乳やめろというのは
次世代の「小さな人間の栄養摂取を阻止」する行為ですよね。
 
授乳という自然な行為に寛容になれず
当たり前のことと受け取れなくて
 
母子に不要なストレスを与える人たちは
 
自分より若い次世代の助けを、
生きていく間ずっと必要としない覚悟がある人たち、なんでしょうね。
死ぬまでずっと。
 
 
***
 
前回、授乳中のIELTSテスト体験を思い出して
自分で絞ってもあんまり出ない「さし乳」なので、
テスト内容より長時間授乳できないことの方が心配だった、ことを書きました。
 
「さし乳」ってもしかしたら、
通っていた桶谷式母乳育児相談室、https://oppa.oketani.or.jp
だけで使う通称かな?
 
と思って調べてみたら
ちゃんと普通に使われてました。
今では「差し乳」「溜まり乳」漢字なんだなあ。
 
 
「差し乳」は普段は空っぽで、
授乳を始めてから母乳が作られるなんていう話があるそうで、
ビックリしました。
 
授乳したら、母乳の分泌を促進するってことかな。
促進だから停止ってわけじゃないと思うんだけど。
1人目より3人目の方が、張りは少なくなったけど
お乳はやわらかくても、出てたけどな。
 

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つみ重ね。
 
子供3人。1人に3年間、合計9年間。
卒乳後の後しぼりまで入れると、
10年ほど桶谷式母乳育児の相談室に通ってお世話になりました。
 
およそ20年前から10年前まで、
相談室で出会うママさん仲間と「さし乳」「たまり乳」という話題はよくあったし
助産師さんたちからも、「差し乳」は普段は空っぽなんて
聞いたことありません。
 
自分の感覚と、ママさん仲間から聞いたのは。
 
さし乳:搾乳してもほとんど出ない。
たまり乳:赤ちゃんが飲む以上のお乳を作ってしまうので、さし乳ママ以上に食事に気をつけないといけない。もらった大福食べたい〜って嘆いてた友達を思い出しました。
 
 
*桶谷式母乳育児って?*
 
”桶谷式母乳育児とは助産婦・桶谷そとみ(1913-2004)が考案した
乳房マッサージと母乳育児方法で正式には「桶谷式乳房管理法」と言います。”
(ホームページよりhttps://oppa.oketani.or.jp/what_is_oketani_shiki )
 
私の通っていた相談室は、東京都内にあって
桶谷式を習得するための研修センターでもありました。
 
広いフロアにベットが4つ。
乳房マッサージ(手技と言います)を指導する助産師が4人と
全国から手技を身につけるために助産師さんが多くいて
 
ママさんたちも、なごやかにフロアで赤ちゃんたちを遊ばせながら
授乳したりおしゃべりしたり、もちろん助産師さんたちも。
すごくのんびり楽しい場所で
よくお弁当を持っていって、何時間も過ごしていました。
 
私は、母乳の出が悪いのと乳腺炎で通い始めたけど
相談室には、東京近辺からだけじゃなく
全国から、アレルギーや障害のある子、医者に見放されて来たお母さんなど
私よりも、もっと大変な母子たちが集まっていました。
 
アレルギーでママの食事制限が、すごく厳しいのに
「この子のためだから、平気だよ(笑)」と
明るく順応していたママ仲間たち。
自分たちのできることを、
ブレずに、とにかくやり通すということを、教わりました。
 
育児人生の中で、すごく大切で密な人たちと場所。
ありがたくて宝のような経験でした。
 
*****
 
長男を産んだ20年以上前の話。
 
産むまでは、粉ミルクでも母乳でもどっちでもよかったのに
いざ産んでみたら突然、本能的になって
野生のサルの母親にでもなったかのように、
母乳で育てたいと強く思うようになりました。
 
あの頃は、テレビの育児番組でも
産婦人科の「母乳もあげたことのない」老いた男の先生が
「母乳は、生後6ヶ月でやめましょう。」
 
母乳もあげたことのないのに、なんでわかるの?
母親には、感情があるのに。
機械じゃない。
 
検診でも生後6ヶ月を過ぎると、
「もうそろそろやめたら?」
「母乳育児は、宗教じゃないんだから」
 
などど、私の本能的な欲求を無視した専門家たちに
さんざん言われながら、迷いながら
1人目の育児をしていました。
 

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そんな中、長男7ヶ月の頃
ずっとスッキリしないお乳にモヤモヤする毎日の中で、
本屋で「桶谷そとみの新・母乳育児の本」を手にしました。
 
もう何度も何度も、カバーもなくして小汚くなるまで
読み返しました。
 
そのうち、左脇に赤く腫れが。
 
痛みに耐えきれず、
母乳で育てたいのに、否定ばかりする専門家たちの言葉を振り切って
やっと相談室に予約の電話を入れたのでした。
 
***
 
いざ相談室へ行ってみたら、
もう和気あいあいで、ホンワカ楽園のよう!
 
ベットに横になって、この痛みから解放されるんだ!と思うと
ウジウジ悩んでたのが、バカバカしくて
もっと早く来ればよかったと後悔しました。
 
左脇の赤い腫れは、もうかなり痛くなってて
脇からアゴの下の首筋まで、ズシーンと重くなっていました。
 
温タオルを乳房にのせて血行を良くしてから
助産師の先生が、手技を始めます。
私には、教員として指導するレベルの
ベテラン先生がついてくれました。
 
手技は、ちっとも痛くないので、寝ちゃいそうですが(寝たこともありました)
先生と楽しくお話ししながら、
自分では絞ってもあんなに出なかったのに
先生だとクジラの潮吹きみたいにピューピューと。
口元に飛んできたお乳は、冷たくてしょっぱくてまずかった。
 
固まりが詰まっていた乳腺を、きれいにしてくれて
粉チーズの一粒みたいな固まりも見せてくれました。
お前が原因だな!!!憎たらしい。
いや、もうホントに憎たらしいの。
タオルについた、溜まっていた母乳は、黄色くなってて臭かった。
 
毎日あげるんだから、味見したらいいよと言われて
母乳は、よく味見してました。
 
手技を受けるようになってから、
長男は、おいしい母乳しか飲まなくなりました。
 
まずいと
赤ちゃんなのに、天井眺めて知らん顔。
絶対に口にしない。
 
次男と末娘には、まずくても絞り出せないので
「お願い飲んで〜」というと
頭ポリポリかきながら、しょうがないなぁ〜って感じで飲んでくれました。
 
面白いのは、こういう赤ちゃんの時の性格が
10年20年経っても、おんなじなんですよね。 
 
だから、どんなものを食べると
ほんのり甘みがあってさっぱりしたおいしい母乳になるか
油っこくなったり甘ったるくなるかていうのも、
自分でわかるんですね。
 
海外では、フライドポテトを食べ続けても
トラブルのないお乳が出るママさんもいるそう。
 
要は「ママの消化力」によるんだそうです。
 
ストレスや、季節や、忙しさ
体が疲れすぎてることも関係するし。
環境もそうでしょう。
 
だから今、母乳をあげてて
まだ味見したことないママは、やってみて。
 
自分の体に向き合って
赤ちゃんとのリズムを取りながら
「自分の体はこういう風に働くんだ。」っていう
調子をつかむといいですよ。
 
お乳の調子がいいと、
子供が飲んでる時に、アゴの下・首筋・胸の奥までが
血管バクバクするくらいの感じで、流れが良くって
ものすごいスッキリするんですよ。
 
桶谷式では
体と乳房の調子がいい・悪い時をしっかり教えてもらったので
自分でもいい調子に持っていきたくなる。
そのほうが、自分も子供も調子いいから。
 
「1年間は、とにかく続けてみて。母子のリズムが合うようになると
母乳育児が楽しくなるから。」って励まされ続けて。
 
本当に、母子のリズムが合ってくると
栄養面では、そんなに重要度がなくなってきても
母乳は消化を助けるし、
何と言っても母子双方にとって、精神安定剤でした。
 
それから私は
子供の顔が、クルマの排気口近くにあるのがどうしてもイヤで
ベビーカーを使わないで、外出時はずっと抱っこしてたんです。3人とも。
 
7ヶ月くらいになると、さすがに重いので
子供が歩き出すまでは、乳房の奥や肩・背中が硬くなって、
先生も手技でほぐすのが大変そうでした。
 
母乳を終える時は、子供主体で決めました。
そうすると3人みんな、3歳頃まで。
 
次男が飲んでるそばで、
長男が「オレ、3さいまでのんでた。」と言うから
下の子たちも3歳まで飲まないといけないのかと
思ったかもしれないんですけどね。
 
長男の時に、一度「世間の常識」に惑わされて
1歳半くらいで止めようとした時が。
 
そしたら、授乳をやめた代わりに水分も一切受け付けなくなった、長男。
39度の高熱が出て、断乳は中止に。
 
「お母さんが、迷って覚悟ができてないと、子供に伝わってうまくいかないよ。」と、先生が教えてくれました。
 
あの時はやっぱり、自分でも納得してたつもりで納得できてなかったんです。
 
 
そして
まるでマイ水筒のように、当然のように母乳を飲んでた長男も
お乳にさよならをする時が来て。
 
桶谷式では、気候が良くて
母子の調子のいい時期に、お乳の調子のいい状態で
おっぱいにさよならをすると、もう一切あげません。
 
両親が日本語と英語で話すからか
長男は、よその子と比べると言葉数が少なかったのですが
 
母乳をあげる最後の日の夜、
「明日はもう、おっぱいバイバイだよ。最後だからいっぱい飲んでね。」と言うと
 
「おっぱい、おいしかった。ありがとう。」
言ってくれました。
 
さんざん母乳トラブルもあって、痛くてつらい時も何度もあったけど
ものすごい、泣きました。
 
しんどいこともあったけど、続けてよかったと
心からそう思いました。
 
あれは誰がどんなことを言おうが、反対しようが
私の生きてきたなかで、かけがえのない勲章。
 
まずい母乳は決して飲まなかったこの子が、私を母にしてくれたなあって。
 
 
そのおかげで、トラブルがなかったわけじゃないけど
2人目3人目の授乳は、精神的に楽でした。
 
でも、一番大変だった乳腺炎は、次男の時で
夫が健康診断で大腸の再検査を告げられた時でした。
夫、ベジタリアンなのに。
 
ポリープがあるかもしれないから、内視鏡検査しましょうと。
「ガンかもしれないから」
「ガンだと困るから」
どっちを言われたのか忘れたけど、
「ガン」と言う言葉を聞いて夫はパニックに。
夫を安心させようと、検査させるためにガンっていうのよという
私の母の言葉も、夫には届かず。心配は増すばかり。
その心配が私もストレスになって、ひどい乳腺炎になってしまいました。
本当に大変でした。
 
それなのに夫の方は、ポリープではなく、メロンの種でした!
メロンの種まで食べなくていいのに!
 
 
2度流産した後も、桶谷式の先生は一緒に泣きながら
次の授乳に支障ないように、手技してくれました。
 
子育て前半を日本でしたいと、私が切望したのは
文化や祖父母のそばで、という理由のほかに
 
日本で、桶谷式で
後しぼりまでしっかり手当してほしいという願いからで
夫も大賛成でした。
 
そして先生に「しこりもないよ。大丈夫!」とお墨付きをもらって
すぐに、日本を発ったのでした。
 
***
 
そこまでなんでこだわったかというと。
 
ある日の、静かな相談室で。
3時半過ぎてたので、他のママと赤ちゃんたちは帰っていたので
母子はうちだけでした。
 
そこに1人の女性が、助産師さんに脇を抱えられて入ってきました。
 
その方は、50代くらいで
ここではあまり見かけない年齢層なのでどうしたんだろう?思っていると。
 
女性は以前、でたらめに断乳して、その後の手当てもまったくしなかったそう。
でも更年期になって、背中に鉄板が入ったように重くだるくて
病院をあちこち回ったけども、生活に支障が出るほどになったので
手技を受けに来た、ということでした。
 
その女性の立ってもいられない、苦しそうな姿が
私が子供の頃、母が子宮筋腫とチョコレート嚢腫で
長年苦しんで寝込んでいた姿に重なって。
(だから子供の頃から、家事半分は私がしていました)
 
母の時代は粉ミルク全盛で、母は母乳をあげられなかったし
病気の強い痛みで、子供の成長を覚えていられないほどだった、母がとても気の毒で。
 
その女性や母が、身をもって教えてくれたから
女性として自分の体にできることは、精一杯やりたかった。
 
***
 
でも、私がこうしてきたからといって
他のママさんに「母乳で育てるべき」とか
「粉ミルクで育てるべき」とは、思いません。
完全母乳であるべき、とか。
 
もちろん出産後すぐとか
赤ちゃんにとって母乳が大切な時期がありますが
 
それが過ぎたら後は、
お母さんと赤ちゃんが、納得しているやり方が一番いいんじゃないかな。
人それぞれ。
生きている環境が違うのだし。
 
ママの意思に反して、夫や家族が反対意見の場合も多いですよね。
だから、私の強い意志を止めないで尊重してくれた夫には
心から感謝しています。
 
子供たちが大きくなって、ここニュージーランドでも
みんな学校で表彰されるくらいに温厚に育ってくれたのは
あの9年間があったからこそ、と夫は信じています。
 
周りがとやかく言うことじゃなくて
いろいろ悩み揺れ動くことがあっても
 
ママさん自身が納得いく選択。
赤ちゃんにとっても、無理がない選択。
 
ママ自身が子の思いも考えて、主体性をもって決めること。
 
 
でも今、ママさんがもし
「吸いついてくれない」
「足りているかわからない」
「出過ぎて困る」
「すっきりしない」とかで
1人で悶々と母乳育児に悩んでるんだったら。
 
授乳って体と心全体が大事だから
スポーツ選手にトレーナーがいるように、専門家に気軽に相談するといいですよ。
1人で、悩まないでね。
 
「痛みや腫れがある」 場合は、ひどくなる前に
ただちに連絡して、手当てしてもらってください。
 
 
桶谷式以外の助産師さんにも、マッサージしてもらったことありますが
私には桶谷式が一番痛くなかったし合ってたので、おすすめです。
 
こう40代半ばになって、振り返ると
ありがたいことに、人生の中で大事な場面には
よく、とてつもなく強力な助っ人に助けてもらっていて
 
まぎれもなく、桶谷式のY先生とK先生は
母乳育児の時期を、宝物にしてくれました。
悔いのないよう生きたい私に、力を貸してくださった恩人です。
 
感謝してもしきれないです。
 
母乳であってもなくても
もっと、おおらかな子育てができますように。
 
願い、そして行動しましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

IELTSストーリー。

「ビザが切れそうで、大変なんですー!!!」
「仕事クビになりそうで、大変なんですー!!!」
「退学の危機で、大変なんですー!!!」
 
IELTS(アイエルツ)を受ける前に夫のところに来る
切羽詰った生徒さんたちから、よく聞く叫び。
 
そして私たちはため息ついて、いつも思う。
 
なんで、もっと早く勉強始めなかったの?
なんで、ギリギリになるまで放っておいたの???
 

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夫はよく大学や学校で、IELTSのクラスを受け持ったり
個人レッスンでも教えています。
 
ニュージーランドで勉強したり移住したりする人は、たいてい受ける
IELTS(アイエルツ)という英語検定
 
リスニング
リーディング
ライティング
スピーキング
 
4つの英語力を
バンドスコアという、0(低)〜9(高)の熟練度で判定します。
 
夫は通常のケースだけでなく、
それまでいろんなところで学んでもパスできなかった人や
理由があってなかなか上達できなかった人などにも
大学からの指名を受けて、個人レッスンで教えたりもします。
 
 
ある生徒さんは、
集中力が続かず、すぐ空想に浸ってしまうので、英語力が伸び悩んでいました。
でも教えているうちに、昔の親からの虐待によるストレスが原因、
ということがわかりました。 
でも時間をかけて、目標に集中して、無事達成することができました。
 
その生徒の指導を希望した親戚の方が
届いた合格通知を、信じられなくて。
夫に真偽を確かめると、ものすごく興奮して喜んでくれました。
あれは、本当にうれしかったです。
 
 
英語ネイティブでも、なかなか受からない人もいます。
そういう人は、どうしてもリーディングだけとか、
一つだけ引っかかってしまうようです。
もしかしたら、ディスレクシアやAPD(聴覚情報処理障害)が隠れて、
あるのかもしれませんね。
 
あるイギリス人生徒さんは、
多くの先生たちに「もうあきらめなさい」と言われるほどで、
悲壮なくらい、自信をなくしていました。
ご主人から
「ネイティブなのに落ち続け無理だと言われて、本人がひどくまいっている。」と
内緒で夫に直々にお願いしに来るほどでした。
でもがんばり抜くことができて、めでたく希望の職業につくことができました。
 
ちゃんと、目標達成するまで時間をかけて指導を受けて、努力を続けてくれました。
 
***
 
「IELTSって簡単に受かるよ!」
 
そんな噂が、あるのかな?
 
楽に受かった人の体験で、自分もそうなると「錯覚」しているのかな?
 
IELTS勉強する人の中には、
数週間先生に教われば、とか
あるいは1、2回のレッスンでクリアできると思う人が
よくいるんですよね。
 
どこからそんなに自信が出てくるんだろう?
 
確実にクリアしようと計画的な生徒さんは、体感的には3割くらい。
 
いろいろ話を聞いて「がんばります!!!」って意気込みを聞いて
 
そのがんばりは、
例えて言うならハードル1.8mかねえ…と私たちは想定するのですが
 
でもいざフタを開けてみると、生徒本人の想定努力はハードル1m。
 
それって、努力しなくても今、跳べなくない???
 
本当にそれでいいの?大丈夫なの?って聞きたくなるのです。
 
中には、自分が落ち続けるのは試験官のせいだと抗議に行く人も。
試験官には知り合いも多いのですが、手抜き判定をするとは考えられません。
 
難なくスコアを上げられる人もいますが
一般的には、IELTS6からは0.5ずつでも上げるためには
しっかり勉強しないといけないそうです。
 
***
 
夫が教えるのは、IELTS7を目指している人が一番多いです。
5.5や6は少なめですね。
近頃でも就学前教育の先生が数名、IELTS7を目指して、勉強中です。
7でないと、フルタイム勤務できないんだそうです。
 
ビザのことには関与しないので、ビザ情報は生徒自身や学校や聞くのですが
就学前教育の先生は、子供を持つお母さんの間で人気があるそう。
 
ニュージーランドで暮らすためだけではなく、
イギリス、オーストラリア、カナダ行きを目指している人も少なくないので
IELTS8を狙う人たちも。
 
大学に入るには、6.5や7くらいだそうですが
現実には、
入ってから議論したり勉強していくには、
8はあったほうがいいって夫は言っています。
 
***
 
最高点、IELTS9(エキスパート・ユーザー)を狙う人たち。
 
最高レベルに到達したいという、すごい人もいます。
長年の夫の横での観察によると、それはみんなロシア人。
 
ロシア人のママ友が言ってました。
ロシアでは、勉強ができないといけないという
強迫観念にも似たプレッシャーがあって
彼女はそれを子供にかけたくなくて、NZ移住したそうです。
 
そんなエリート志向のせいかどうかはわからないけれど、
あるロシア人社長さんは、永住ビザもあってIELTS受ける必要無いのに
IELTS9を楽にクリアできるようになりたいと言って、夫のとこに来てました。
 
その後、
IELTS9を3回取り続けたので、満足したのだそうです。
 
***
 
私のIELTS体験。
 
そういう私も昔、10年ほど前にIELTS受けました。
 
元々、子育て前半は日本で
後半は、夫の国のイギリスで、と決めていた私たち夫婦。
 
それが、イギリスが薬物や暴力で荒れ
友人の可愛かった子供までが、殺人事件に巻き込まれるまでになって
子育て環境としてはどうか?と、ひどく心配し始めました。
友人たちからの忠告もよく聞いた上で
夫が、NZに永住につながる技能職ビザを申請しました。
 
一度NZで暮らしてチャレンジして
永住ビザが取れなかったらイギリスへ行く、という選択は
子供たちの負担を最優先に考えるわが家の選択肢としては、
まったくあり得なかったので
もし、永住につながるNZの居住ビザが取れなければ、
そのままイギリスに行く予定でした。
 
そしたら、主申請者の16歳以上の家族も
IELTS5か5.5だったか受からないといけないらしくて。奥さんでも。
 
聞いたらビジネスビザは、主申請者でも4でいいんだそうですね。
ビジネスする人の方が、もっと英語が必要な気がするけど
奥さんで5なのに。なんか腑に落ちないなあ....
 
当時の私は、まだ3人目の子の授乳中で
上2人のお兄ちゃんたちもヤンチャ盛りで、スッピン子育て全盛期。
 
夜間(夜中)授乳も続けていたし、
しかも順番が回ってきちゃって、PTA役員と町内会役員までやっていました。
 
学生以来久々に試験を受けるなんて、そりゃあもう緊張するし
IELTSの勉強は1年ぐらいやらせてほしいと、夫にお願いしました。
 
いつも多くの学生たちの試験の大変さを見ているので、
「1年間はしっかり勉強しなければ」と思っていました。
たとえ英語講師の妻であっても。
 
夫も、申請してもすぐには選ばれないだろうし、何年もかかるかもしれないから
納得するまで勉強するといいよ、と。
 
 
それなのに。
わが家のケースは、予想よりもはるかに早く、あっという間に選ばれました。
そのため、申請手続きを急いで進めなくてはならなくなりました。
 
本当なら、喜ぶべき場面なんだけど、私は
「ちょっと待ったーーーーー!!!」
叫びが届くはずもなく。
急にプレッシャーが、重くのしかかってきました。
 
なんでそんなに頭を抱えたかというと。
 
試験当日は、ほぼ一日授乳ができないからです。
 
知らない人のために
母乳育児のことをちょっと説明しますと。
私の場合、授乳間隔が3時間以上開いてしまうと
お乳がまずくなってきて、しこりや痛みが出ます。
動くのもつらくて、治すのに1週間以上かかるような乳房トラブルが襲います。
その上「さし乳」といって、自分で搾ってもあまり母乳が出ないので
ちゃんと赤ちゃんに吸ってもらわないと、詰まってしまうという面倒なお乳でした。
 
当時IELTSテストは、4つ全部を1日でやったので
試験会場への往復も入れると、ほぼ丸一日授乳できず
過去のひどい乳房トラブルを思い出すと、ゾッとしました。
テストのことよりお乳の心配で、とにかく気が重かった。
 
そうは言っても、
1年間勉強する時間は、なくなってしまったので
効率よく勉強しないといけません。
 
それで、一度試しにテストを受けることにしました。
場所や一日のスケジュールに慣れるためにも。
 
 

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当時、日本語のIELTSテキストは少なかったのですが、
このオーストラリアのテキストが、シンプルでわかりやすかったです。
 
お試しテストの後で、十分勉強できるように
お試しテストを、すぐに予約。
それもあって、勉強できたのは数時間だけだったので
とりあえずテスト方法を理解して、ライティングの時間配分を練習しました。
一回かけたライティングは
夫がチェックしてくれるはずだったけど、結局忙しくて見てもらえず。
 
こんなもんなんですよ。
 
よく旦那さんが英語教えてくれるんでしょ?って思われますが
うちの先生は、よその人に教えるので手が一杯なんです。
だから奥さんは、まるで職人の技を盗むように
日々の暮らしの中で、身につけていくしかありません。
 
 
試験当日は、やっぱり
リスニングの途中でお乳が重くなってきました。
そうなると、脳の40%がお乳に気を取られてしまいますが
負けずにテストに集中します。
 
最後のスピーキングでは、
私の前の若いロン毛のお兄ちゃんが、やる気満々で
ドアを開けてテストルームへ入って行きました。
 
痛くて早く帰りたいのに、
なんで私は最後なんだろうと思いながら呼ばれて部屋に入ると
スピーキングのテーマは「写真」。
 
とりあえず適当になんでも話ができる人だといいですね。
興味ある・なし、がはっきりしている私には、困ったテーマでした。
 
それでも、この日までに
桶谷式母乳マッサージの先生の協力を、しっかり受けてきたので
なんとか無事に終わり、帰宅して夜中も授乳することで
トラブルはにならずにすみました。
 
***
 
なんだかお乳の話になってしまいましたが
英語の先生と暮らしてても、ちゃんと勉強プランを立てるので
 
家庭で英語を使っていないのなら余計に
1、2回のレッスンで目標のスコアが取れるなんて思わないでほしいのです。
IELTSの先生は、魔法使いじゃないんですから。
 
早めに動いてくださいね。
ビザや仕事が、そんなにやばくなる前に。
 
まあ、そう伝えたい人たちは、ほとんど日本人じゃないですけどね。
 
今、IELTS勉強してる人は、がんばってくださいね!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Jacindaママは、もうすぐ首相に復帰にします。

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ニュージーランドの首相、ジャシンダは、産休中。
 
ゆったりと元気そうで、よかった。
 
今日は、産休最後の日です。
もうすぐ今日真夜中から(細かい…) 職務復帰とのこと。
 
いつものように、報告書にも目を通してて
復帰準備もバッチリみたいです。
 
 
このママビデオ発信1時間後に、National党の党大会があったそうで。
 
党首の西門橋によると、
現在、具体的なNational党の政策はなく、今後2年間で考えると。
 
そして、学校の1クラスの人数を少なくするとのこと。
 
オイオイオイオイ!
それはNZ Labourのずっと訴えてた政策なの!
今更なんなんだ?
 
2009年に就学前教育予算を削減して、
2012年に、大人数クラスを推進したのは、
あなたが内閣にいたNational党政権ですけど???
 
クラスの教育がうまく進められないのは、人数が多いからじゃなくて
先生の力量不足だから!と、
当時National政権の教育大臣・Hekia Parataは何度も叫んでましたけど???
 
大人数クラスのせいで、
あるお母さんから私とばっちりを受けてしまったことは
また今度の機会に書きます。
 
生徒の理解力を無視して、数値だけ見た成績重視の教育環境を作ったのも
こいつ(って呼びたくなるほど腹たつ!)
うちの子3人は、
パラタの「理解力は置いといて」導いた教育環境で、育ってきたのだ。
 
この時から夫は「お前らが大人数のクラスを1人で教えてみろ!」と激怒してきた。
 
 
そして、
「自分のことは自分の金で守れ」
「国民全体のために働いてこなかった」政権の9年間で、
放置してきた様々な問題への説明は、この党大会ではやっぱりなかった。
というか、西門橋にはできない。
 
ニコニコ太鼓叩いてる場合じゃない。
 
***
 
 
ちょっと前だけど、とてもうれしいニュースが!
 
読者数が世界最大のアメリカの英文ビジネス雑誌、フォーチューンが
2018年の世界で最も影響力のある40人(40歳以下)を発表。
 
そのうちの1人に、ジャシンダ首相が選ばれました!
おめでと〜!!!
他には、Facebook、 Instagramや Airbnbの各CEOが選ばれてました。
 
 
でもある方がこう言ってました。
 
なんでこんなにNZ国民として名誉なことが、大々的に報道されないのか?
 
本来なら、国内の全新聞の一面に載せるべき誇らしいことなのに。
 
狂信的で過激な偏見を持ったメディアのせいで。
(注:NZメディアオーナーのほとんどはNational党支持者)
 
目を覚ませ、ニュージーランド!
 
***
 
 
そしてイギリスのガーディアン The Guardianには、
オーストラリア人のコラムニストによるこんな記事が。
 
 
オーストラリアといえば
自国の右翼傾向のせいで
多様性に寛容になりきれずに人権侵害を続けているのに、
 
一部の政治家は、自分の国政を棚に上げて
小さな隣国の、誠実な政治を非難するのに躍起だ。
そんな暇があったら、自分の国の人権侵害を直視して、
なくす努力に力を注いでほしいものだ。
 
でも、
このオーストラリア人のコラムニストは、
希望を抱きながら時代の向かうべき方向性を見つめていて、とても共感しています。
 
ぜひ読んでみてください。
 
ジャシンダが、NZ首相になったこと、母にもなったことがなぜ大きな意味を持つのか?
 
 
政権として、多様性を積極的に受け入れながら、
医療・教育・気候変動・住宅・社会の平等性を重要視することの意味を
なんで私が一生懸命に関わっているのかを
この記事から理解してもらえたらうれしいです。
 
時々、ニュージーランドはリベラルで、いい国だ、と
あたかも元々こうであったかのように言って
この国を満喫しているだけの人がいるけど
 
今の状態になるまでに、訴え闘い続けた
多くの人がいるからこそ、勝ち得たものです。
 
ニュージーランドでは、
今でも半数近くが、保守派を支持しています。
NZで堕胎は犯罪だけど、問題ないじゃんと言ってる人たちがね。
いつでもリベラルから
社会民主主義から、逆行する可能性があるのです。
 
***
 
アメリカでも、闘い続けてきた
民主社会主義者のAlexandria Ocasio-Cortezが、
28歳の若さでニューヨークの民主党選挙に勝利しました。
 
このイギリスのThe Guardian は、昔から夫と一緒によく読む報道メディアです。
 
ガーディアンといえば、
オーエン・ジョーンズ Owen Jonesという
若い社会派コラムニスト・政治活動家がいます。
ものすごく現実を見据えた彼の鋭い視点が、私はとてもとても好きで。
学ぶことがとても多くて。
 
夫に「こういう若い人を強くサポートしていかないといけないよ!」と
ずっと前から推してる尊敬する人物なのです。
 
 
そういえば昔、夫にノーム・チョムスキー Noam Chomskyのこともすごく推したら、やっぱり好きになりました。
とても影響力のあるアメリカの哲学者・言語学者(その他いろいろ)なのですが、
だいぶお年を召されているので
まだ知らない人は、ぜひ話を聞いてみてほしいです。
 
もちろんNZの、ジョン・キャンベル John Campbell も尊敬する人です。
 
 
*****
 
逆に。
報道を見てて、嫌いな奴は
TVNZお抱えのブロードキャスター、マイク・ホスキング Mike Hosking。
 
National党支持者なのに、選挙時にはTV党首討論の司会もした。
報道する立場でありながら、
2017年選挙では、
「マオリ有権者でなければ、Maori党に投票できない」と誤解を生む発言をして、
Maori党が議席を減らす一因となって、党は国会から姿を消す結果に。
 
今でもしょっちゅう
National党支持のオーナーの元、いろんなメディア
特にNZ ヘラルドで
苦虫噛み潰したような顔で、現Labour主導政権を非難している。
 
時々、入国して間もないのか
夫によると
マイク・ホスキング好きですなどと言う生徒がいるそうだけども
 
「本当に奴の言ってることわかってるの?それとも本当に金持ち優遇右翼野郎が好きなの?」と聞きたくなってしまう。
 
最低賃金を75セント上げて、時給16.5ドルになった時には
「コーヒー1杯が10セント値上がりする!最低賃金値上げは生活費を高くして、市場混乱を招く!」と主張してた。
Ministry of Business, Innovation and Employment(MBIE)も
ホスキングの挑発するような影響を示唆していないと報告しているのに。
 
現実には、時給16.5ドルになっても生活費をカバーすることはできない。
それなのに、突然一般国民の味方ぶる。
 
そして自分の所有する14万ドルのレーシングカーを事故ってオシャカにした。
 
 
14万ドルのレーシングカーを、保険未加入で修理できるような金持ちが
庶民の味方ぶるなんて図々しい。
NZ Labourの悪口言い続けていれば、
オーナーを喜ばせて「裕福で居続けられる」のだからいい身分だ。
 
National党は、公的医療の危機なんかないと。
ホームレス、メンタルヘルス、オークランドの教員と住宅不足、
数多くの問題もないと言い続けていました。
去年の選挙数週間前まで。
 
富裕層優遇政党だから、
心配しなくても、私立の高額な医療と教育を利用できる。
環境問題を考えた公共機関の整備に手をつけなくても
経済だけ回しとけばいいと思ってきたのでしょう。
 
National党を支持するということは、
9年間放置され続けてきたそれらの問題を
放置されたままで手をつけないでいいと言う政策に、同意している
いうことです。
 
数週間前には
わが家に、学生団体のユニオンから
100ページ以上に及ぶ
「NZの学生のメンタルヘルス・レポート」が送られてきました。
学生自身の声による「現実」は
こういうところにちゃんと、示されてあるんです。
 
この苦しみを、「ない」なんてよくも言えたものだ。
 
***
 
ところで、NZ映画の「Hunt for the Wilderpeople」は観たことありますか?
ニュージーランドのいいとこ満載の心温まる映画ですよね。
ジョン・キャンベルもちょっと出てたし、当時のNational政権を皮肉ってたり。
 
主演のNZの俳優、ジュリアン・デニソン Julian Dennisonくんが
先日、朝のTVに出てて。
 
そこに付き添いで来てた、双子の弟、
クリスチャンくんも出ていました。
 
クリスチャンくんは、まだ15歳でありながら
NZ Labourのメンバーなのだそうです。わーい!私と同じ〜!
そして、将来は政治家になりたいのだそう。
 
横で笑顔で大きくうなずくキレイな、お母さんかな?も、
きっとLabourサポーターに違いありません。
ジュリアンくんも、もちろん弟に投票するそうです。
 
そこで、産休中のジャシンダ。
放送中にすぐ返事して、ビーハイヴ(国会のある建物)で
再会のお誘いをしたそうです。
 
 
すばらしい!
 
「みんなのために」と思い行動することが、
たとえ左翼やジャシンダマニアと呼ばれようとも。
視野の狭い無知人に、共産主義!と怒鳴られようとも。
そんなものは、枠に入れたがる人が使う呼び名でしかない。
 
多くの人は、
ジャシンダが首相になるずっと前から
元々心の中に、誠実さや思いやりを大事にして生きてきている人たちなのだ。
 
堂々と、自分のスタンスを示せばいい。
 
それは自分の生き方。
生きていく上で大事にしていること。
自分のコアはどこにあるのか。
 
子供を、家族を、友人を大切に思い、どこかの誰かや動物たちのことも思いやることと
政治を通して国や環境づくりに関わることは、延長線上にあって
なんら変わりはないのだから。
私にとっては、子育てと変わりない。
 
大人のブレない軸を、子供は日々感じて育っていく。
 
クリスチャンくんのような若者は、NZ Labourの活動をしているとよくいて
とてもうれしくなります。
現実の先を見つめる視点がよりクリアなので、頼もしいのです。
 
もちろんNZ Labour が、万が一、人でなし集団になったら
さっさと辞めるけど、それはないでしょう。
 
だって、いい人たちがいっぱいいるから。
 
みんなにいい社会は、
簡単には消して手に入らないことは、重々承知の上で。
 
ジュリアン・デニソンくんも言っていました。
"I think people like nice people."
 
明日からも、ジャシンダ率いる
「もっといい社会を作る活動」に参加してサポートしていこうっと。
 
これからのために。